ぼんくら解体新書

俺は絶対サブカル男子ではないっ!

映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』を見て感じること、

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こんばんは自称バームクーヘンです。

今回は映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』について書きたいと思います。

監督は『モテキ』『バクマン。』などの実写化を手がけてきた大根仁さん。

 

ここからおもっきりネタバレ含みます。

 

ーざっくりあらすじー

主人公コーロキは奥田民生に憧れるオシャレ雑誌マレの、編集者。

取材先で出会った天海あかりに惹かれ、夢中になっていくが、次第にあかりに振り回され、さらにそのような境遇の男たちが身近にいることを知る。

 

奥田民生になりたいボーイ、感想ー

 

まず、大根仁監督の作品は、好き嫌いがわかれるものが多いと思います。

モテキ』などは非常にキャラを丁寧に描いていて、挿入歌や出てくるワードなど、映画は''やりすぎ感''がありますが、ドラマは凄くまとまっていたと思います。

めちゃめちゃマイナーじゃないけれど、好きな人は好きくらいの、良い意味で聴きやすく、興味が湧きやすい文化(音楽や漫画のワード)をチョイスしていたと思います。

 

ここから本題、『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』はどうか。

勿論、奥田民生は良いですし音楽は誰が聴いても嫌とは感じないでしょう。

ただ、気になったのは劇中に登場するキャラです。

主人公コーロキはある程度、そのキャラの出自が説明されますが、それ以外の登場人物については殆ど劇中で語られません。

物語上、何かがあって、だからこのキャラは面白い!となるのではなく、面白いキャラを全て良い役者に任せっきりのように感じ、言うならばキャラの出落ち。見た瞬間から''こういう人''とこちらがレッテルを貼ってしまうようにしてるんじゃないかと思いました。

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リリーフランキーに、安藤サクラ天海祐希松尾スズキ新井浩文

その役者たちのもともと持っているキャラを出すだけで物語の世界でどう生きてきたか、どういう思考回路なのか説明は省略。よって、キャラに深みが足りなくなると思いました。

出演してる役者さんはすごく良いです。

演出の意図するところが、受け手にとって悪く見えるようになってしまってるのでは、と僕は思いました。

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物語上、なぜそのキャラになったのか、まるで一面しかその登場人物にないと思ってしまうように過剰にピックアップされます。

変なフリーライターリリーフランキーはずっと変ですし、良い味出してるけどヤバそうな松尾スズキはずっとその調子で、過剰に一面だけをアピールしすぎじゃないの?と見てて思いました。

レッテルをどんどん貼っていく感じがしたんですよね。

物語で説明するのではなく、現実にいそうにないやり過ぎなキャラで物語を説明しようとするのです。

特に特にヒロイン、水原希子について、例えば漫画の『モテキ』の小宮山夏樹の思考はダイレクトにわかるります(下記の画像の台詞のように)

しかしながら、どうも映画『奥田民生になりたいボーイ』の天海あかりや、ついでに言うと『ボーイズオンザラン』のちはるは、軽ーい感じ、いわばビッチ要素だけ描かれてる感じに歪曲されてると思うんですよ。

物語とはいえ、''ただのキャラ''じゃないと思うんやけどなあ

そこに物語があり、それに登場する以上、その人物たちには各々歴史があり思考が見えないとこであるわけです。

そこをもっと誤解がないよう、レッテル貼り、一面しか見せないということがないよう、物語で生かして欲しかった。

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それぞれのキャラクターの出自、どういう人生を歩んできたか、どんな思考回路なのか、全てを説明することが難しくても、もう少しそのキャラの内面を見たかったです。

コーロキも同じく、天海あかりは"こういう人''と思い込むために悩むのです。

理解はせずとも、もっと深くつながるようなことをサボるわけですよ。物語でも語られますが、自分がいないときにあんなことやこんなことしてるんじゃないかと妄想。

そう思う気持ちはわかりますが、だから悩むんじゃないのでしょうか。

能動てきな受け身、受動的な積極性のような二面性まで理解が及ばないために、ずーーっと同じことを繰り返すのです。

 

方や、原作はヒロインの思考や出自も説明してくれていました。

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さらに、映画の方はドロドロ感がダラダラと見えてしまっていますが、原作の方はドロドロ感が次第にホラーチックになるような具合で主人公も狂っていく姿が明白に描かれていて面白いです。

 

だいたいコーロキは勝手にくだらない妄想と自己完結で自分でボロボロになっているだけなんですよ。

そのあたりが違和感でした。

コーロキは彼女に対して「ああして欲しい」「彼女はこうあるべき」という風な束縛男なんです。

自分の恋人を自分の頭の中で誇大化していくタイプなんです。

 

そりゃ狂うでしょうよ!

 

とはいえ、前半で述べたキャラについてはそれだけキャスティング、役者が良いってことですし、あえて劇中で登場人物の出自を述べないのも、スラリスラリと物語を展開させる上では効果的かと思います。

ただ、ドロドロの物語なのでそのへん相性が悪いというか、マッチしてなかったのかな、と思ったり。

 

ただ、見なくて良い作品ではないです。

映画も見て、原作も読んで、自分なりにいろいろ考えれる作品かなと思いますねえ。

 

個人的な感想なのであしからず。。

 

おわり。

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ひとりでラブホ行った話

こんばんは自称バームクーヘンです。

今回は一人でラブホテルに行ったときの出来事を書こうと思います。

 

ではでは、

先月ですね、僕は出張で中国地方のとある県に行きました。かなり田舎でした。

電車は4両くらいしか走ってなくて、1時間に数本で、降りるときは1両目からしか降りられない謎仕様。。

そんなとあるど田舎で4日間ほど滞在することになった僕は当然にその町周辺のビジネスホテルを探しました。

 

さあさあ、ホテル代は会社から出るしええとこ泊まるでえ〜〜!

開け!グーグルマップ!

「〇〇県△町 ビジネスホテル」で検索、教えて検索〜.....

 

 

 

 

 

ない!

 

ビジネスホテルない!

 

 

 

仕事先から一番近いビジネスホテルは15キロほど、離れたところにありました。

車を使わない仕事でしたので当然それはできない。

な、なに?

 

そしてホテルだけで検索するとなんかよくわからないホテルがヒットしました。

地図上でそのホテルの目の前の道を指します、すると見えたホテルの外観。

見える、でかでかとした文言の看板。

 

「18歳未満の立ち入りを禁止します」

 

 

いや、ラブホやないか〜〜い!

 

でもそこが仕事先から一番近く、そこを諦めれば15キロ先のホテルになる。

それはあかん。

 

なんぼなんでも会社のお金でラブホに泊まるのはどうなのかと思い、上司に言ってみました。

 

僕「今度の出張先なんですけど、ホテルが15キロ離れてて、それ以外ですと仕事先から1キロくらいのとこに''そういうホテル''はあるんですが、どうすれば良いでしょう?」

上司「んな、そういうホテルでええよ」

 

答え、はやー!

 

てことで僕は出張先で一人でラブホテルに泊まることになりました。

がしかし、ど田舎のかなりボロボロの一階建てのホテル。、

レビューもないし、心配しかない!

とりあえず俺はそこに泊まるしかないんやっ!

 

当日。

仕事が真夜中まで続き、ホテルの前に着いたのは朝の5時でした。

へとへとの状態で行ってみると想像通りの小汚さ。小汚館です。

受付はプレハブの事務所みたいなところでするらしく、部屋はそのプレハブ事務所をぐるっと囲むようにして建っている長屋にありました。

 

プレハブ事務所にて、インターホンを押してみると中からおばあちゃんが出てきました。

完全に寝起きのおばあちゃんでした。

 

朝の5時に一人の大男がやってきて、ラブホテルに泊まること自体がイレギュラーすぎて、おばあちゃんも少し驚いていました。

 

そして部屋へ案内されます。

 

部屋に入ると見た目は都会にもあるような古い安いラブホテルくらいでしょうか。

しかし、一階建て&ど田舎の冬。なので床がえげつないくらい冷たい。。

冷たすぎる床。

 

そして僕はここであることに気付きました。

へとへとでホテルに向かっていたので飲み物も食べ物も一切、持ち合わせていなかったのです。

しょうがない、部屋にあるちっさい自販機みたいなのから飲み物だけ買おう。

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(こんなやつ)

 

そしてへとへとの僕はお茶を買おうとボタンを押します。

 

 

 

 

っ!!!あっ!!!

 

 

僕はボタンを押し間違え、ポテチを買ってしまいました。

朝の5時にもう早く寝たいやつにポテチはいらない〜〜!!

お茶が欲しいねん!

誰が疲労困憊の早朝にポテチを食べる!?

なんで俺はポテチを買ったんや〜〜!

よりによって、かさばるお菓子!荷物にもなる!!

 

はあ、早朝ポテチ チャレンジはやめました。

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そしてベッドに向かいます。 

ベッドの上には何故か妙なところにクッションが2個置いてありました。

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このクッションなんなん、。

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寝るためにどけます。

 

そして、

そして、

そのクッションの訳がわかりました。

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シミ!!

なぞの大きい2滴のシミ!!!

 

fuck!

Jesus Christ!

 

絶対に寝るときにこの2つのクッションどけるよね!?絶対にバレるよね!?

なぜ隠した!!

そしてなんのシミ!!!

敷布団ならまあなんかわかるわ、掛け布団て!

 

なにがどないやねん。

 

そんなこんなで僕はその小汚館に4泊しました。まあまあ泊まる〜〜。

 

おわり

 

ps

 

2日目からは何故かゆたんぽと毛布を部屋に入るときに貸してくれるようになりました。

そして3日目には顔を覚えられ、挨拶するようになりました。

 

お風呂に髪の毛があったり、変な絵がトイレに飾ってあったり、そんなホテルでも最終日には何故か許せるような心を持つようになっていました。

それくらいかめへんかめへん。

 

ではまた。

 

 

 

『百万円と苦虫女』を見た。

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こんばんは自称バームクーヘンです。

先日、僕は『百万円と苦虫女』をNetflixにて見ました。

全くこの映画について知らなくてですね、見終わってからの余韻と語りたくなる映画やと思ったので記事にしました。

 

※ネタバレ必須なのでまだ見てない方はご注意下さい。

 

まず、この映画はどんよりとしたムード、から始まり、ある転機(事件)のとき、大雨が降っていました。

最初の方はどう考えても画面が暗いわけですよ。

ようは雨から始まる物語なわけです。

主人公の彼女は事件を起こしてしまい、前科者になってしまう。

家族は不仲、友達は0、働いてもいない。

つまり、彼女には居場所がないわけです。物理的な場所もそうですが、心の拠り所もない。行くあてがないわけですよ。

そんな彼女は100万円を貯めれば違う場所に行き、様々な土地を点々とする生活を行うことを決意します。

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ー彼女の旅を続ける動機とはー

彼女の旅をする動機付けは「他人と密接に関わりたくない」「自分の居場所はない」です。

だから彼女は旅を続けるわけですが、それは''自分探しの旅''ではありません。それは後に彼女自身が否定します。

 

この映画は事件をきっかけに彼女の第2の物語が始まるわけですが、事件がなくても彼女の動機付けとなる要因は既に持っていた、もしくは事件がなかったらもしかしたら生きていく限り、ずっと持ち続けていたかもしれない感情です。

「他人と密接に関わらない」「何にも関わろうとしない」

などなどです。

その動機がラストには一回りして大きく違うものになる。そこがこの映画の面白いポイントではないでしょうか。

 

ー自分探しと、彼女の旅の違いー

さて、昔は無理矢理にでも他者との共有を強いられ、個人が持つ、その辺のモラトリアムは強制的に無くなっていました。

しかし、現代社会においてそのような強制的な何か(例えば地域の祭りなどの行事や家族間の繋がり)は誰しもが強制されるものでは無くなっていったわけです。だからこそ、彼女のような思考を、大多数の人が持つようになる。

僕もそうです。

 

それと並行して現代ではあるワードが生まれました。

それは''自分探し''です。

自分探しの旅に出ることは現実逃避にはなりますが、結局、何かした気になって終わってしまうことが多い。自己陶酔している事実を''自分探し''という自己陶酔によって隠してしまう訳です。

自分探しで悩み続けるよりも、旅をして自分とは何か考え続ける方が有意義な時間となる場合が多い。

 

悩むということは「どうしてこうなっちゃうんだろう」と思うことで、それは永遠にループしてしまう。

他方、考えるということは「こうならないためにこうしよう」と、帰結できる訳です。

 

例えば''自分探し''として、地方のボランティアに行ったとしましょう。

そこは日常とは環境が違う訳でたしかに視野が広がる気にはなるが、それは物理的な場所の移動をして非日常体験を仮にしただけに過ぎない。 

都会に帰ってきたとき、心の所在は空白のままです。

※勿論これはボランティア自体を否定している訳ではございません。参加するにあたっての動機の話です。

 

ボランティアだって自分が住んでる街でもできる。動機付けが如何に大事か、それが重要。

彼女の旅の動機付けは上記のようなものではなかった。

 

行くあてがない、だから彼女は歩き続けるのです。それが彼女の原動力となっている。

映画の中盤、大学生役の森山未來に旅を続ける理由を語ったとき、

「自分探しってやつですか?」と問われますが、彼女は否定します。

「むしろ探したくない」と。

ただその後で彼女は語ります。

「どこに行っても所在がない」

 

この場面はかなり重要なシーンであると思います。

自分探しではないが、何かを探している、その何かとは、所在=居場所な訳です。

ここである言葉を紹介します。

 

それは「トポス」です。

トポスとは自分の居場所、心の拠り所、所属という意味であり、トポスには〈存在根拠としての場所〉〈身体的なものとしての場所〉〈象徴的なものとしての場所〉という意味があります。近代はトポスが失われて路頭に迷ってしまう人々が大勢います。

彼女もそうであり、トポスがない訳です。

 

そして彼女は言います。

「探さなくたって自分は嫌でもここにいますから」

嫌でもここにいる。自分は嫌でも存在している。この言葉を聞いて、僕は哲学者デカルトの言葉を思い出しました。

それは、我思う、ゆえに我ありです。

この言葉の意味を要約すれば、全ての物事を疑って、どんなに疑っても疑えないものが残るなら、それは真理と言えるのではないか、そう考えたとき、今、疑っている自分の思考だけは排除できず、つまりはその思考をしている自分だけは確かに存在するという意味です。

そのため、「自分はなぜここにいるのか」と考える事、そのこと自体が自分の存在証明である訳です。

そうして、自己を根拠づけることによって、人間は歴史上、その自立を推し進めることができました。

 

話を戻すと彼女はまさにそういった意味で、自分という存在は嫌でも付いて来ることがわかっている。ただトポスがない、それが欲しい。だから歩く。

側から見ればそんな旅をしている彼女を''自分探しの旅''と、誤解する人もいるでしょう。

しかしながら彼女の思考と動機は違うのです。

 

自分は既に存在している。それはわかっている。が、所在=トポスが何処にもない。

どうしたら良いかわからない、何がなんだかわからない。

何処に行っても馴染めないし、周りの人間は鬱陶しい。

しかし、彼女は様々な旅を通じ、悩み続けるのではなく、自分なりに考え続けた結果、ラストシーン、彼女は自らの思考が一周し、人としてもう一段階上にいくのです。

そして空は晴天。

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対して、大学生役の森山未來しょうがないやり方で彼女のトポスを強制しようとして失敗しちゃう。でも、彼は彼女の人生という物語において非常に重要な役割を果たしました。

エセではあるが、ここにいてほしいと、強制しようとすることで、彼女の旅を続ける動機に拍車がかかり、思考が一周する要因となるのです。

彼女はこれまで、体験を通して他者と体感したことを共有することを拒み続けてきました。

しかし、彼との出会いそして別れによって気づく。

他人と密接に関わることは気付きもあるし、有意義なことであり、それを拒み続けることは、''虚しさだけが募るばかり''だと。

ラストは切ないけれど、人として大きく成長する物語です。

 

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考え続けた結果、思考が一周し、原点に帰ってきた彼女。

最後の台詞「くるわけないか」が、深く、見ている側に刺さります。

 

一周して成長した彼女、そして''今の段階''ではどうやっても追いつけない、追いつかない大学生役の森山未來

いずれは大学生役の森山未來も思考が成熟し、彼女と同じくらい寛大に、人として大きくなれたとき、もう一度出会えばまた運命は変わるでしょう。

ただ、今の段階では差ができてしまった。

 

奇しくも空はこれまでにない程の晴天。

自転車に乗っても追いつけない、歩道橋の上と下。彼女は重たいキャリーケース、彼はほぼ手ぶら。

全てが描写に詰まっています。

 

切ないが、この地点では仕方がない。

ただし、いずれは大学生も成長し、ていうか心理学専攻ならそのへん敏感でしょうし人としての思考が成熟するのも早いはず!

いつか出会うはず!信じよう!

 

くううう、やっぱりラストは切ないけれど仕方がないのよなあ。

歴然と差ができてしまってる訳ですから。

 

 

フレームの外の将来に期待しましょう。

 

おわり

 

 

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『M-1 2018』後編〜ファイナルステージと芸人たちの物語〜

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こんばんは自称バームクーヘンです。

M-1の記事、後編を書きたいと思います。1stラウンドは前回記事で振り返りました。

後編ではファイナルステージと、M-1全体の総括、それと背後にある芸人さんたちの物語について書きたいと思います。

 

ではでは、

ファイナルステージ
 

一組目 ジャルジャル『決めポーズ(自己紹介)』

 

ラストイヤーのジャルジャル、ラストの勝負ネタは『決めポーズ(自己紹介)』

M-1における、彼らの漫才の集大成のネタが自己紹介っての、芸人としてかっこよすぎますね。

ネタはジャルジャルの中心を2人で調整していくというもの。

片方がアピールすれば、もう一方が均等にするために合わせる。

ジャルジャルらしさは初めから全開で後半に連れて笑いの波は大きくなっていきます。ツカミに半分使う革新的な漫才、そのあとツカミをフリにしてガソリンスタンドの話題に移行し、勢い止まらず、ジャルジャルの世界観を自分たちの世界観の中で完成させていきます。

最後のオチでは2人が「ジャルジャルです」と言いながらハケていく。

素晴らしい!かっこいい!なにより面白い。

最高のネタでした。

実はこのネタ、過去からあるものですが、ブラッシュアップされててかなり良かったです。

かつて、笑い飯はWボケでM-1に出場し、「我流を本流にした」と審査員から賞賛されたことがありましたが、ジャルジャルにもこの表現は当てはまると思います。

これが、ジャルジャル

M-1最後に自己紹介。

めちゃめちゃ良かったです。

 

二組目 和牛 『オレオレ詐欺

 

近年の和牛の伝家の宝刀、後半に畳み掛ける構成は見事でした。裏切りの連続というよりは、後半に大きく裏切るという、どちらかといえば逃げ切りというより、追い越しタイプの漫才。

川西の女形、水田のサイコ的キャラが合わさりネタの構成も抜群。技術も申し分なかったです。

 

三組目 霜降り明星『学校の思い出』

 

 

1本目の勢いはファイナル進出コンビの中でも圧倒的だった、霜降り明星

マイクの前に2人が立った瞬間にせいやが即座に「いきなりですが!」、瞬時に粗品が「楽天カードマンの言い方!」とツッコむ。

これで確実にお客さんを自分たちのギアに合わせました。それからは霜降り明星のスタイルが炸裂、ボケに注ぐボケ、そしてツッコミの応酬。ワードもボケの動きも、爆裂モード。

最年少コンビで学生時代からM-1を見てネタを書き、お笑いを志していた2人がする『学校の思い出』はハマりにハマります。

このネタも過去にM-1の敗者復活戦でしているのですが、そのときよりも遥かに上手く、勢いがあり、2人のコンビネーションが強くなっていました。1本目も良かったが、2本目も良い。

霜降り明星は互いが強いので、一呼吸置くタイミングに片方がボケるかツッコむため、失速することなくネタが進むんですよ。あれよあれよと出てくる笑い。

大阪育ちで歳的に僕の3つ上と考えると恐ろしいです。天才っているんですね。

 

 

結果発表

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優勝 霜降り明星

準優勝 和牛

三位 ジャルジャル

 

結果は上記のようになりました。

霜降り明星は最年少で優勝。

和牛は3年連続準優勝。

ジャルジャルは15年に続く三位となりました。

 

さてさて、歴代M-1でもかなり審査が難しかった今大会。霜降り明星がなぜ優勝し、和牛は準優勝に終わったのか、そしてジャルジャルのことについて踏まえながら総括したいと思います。

 

総括

霜降り明星が優勝したM-1グランプリ2018、平成最後のM-1は平成生まれの優勝コンビになりました。

お笑いコンテストは勿論、M-1だけでなく、R-1、キングオブコント、地方で行われる大会など様々あります。今年はR-1では濱田祐太郎キングオブコントではハナコが優勝しており、お笑いという大きな流れは、もしかしたら熟成されたものよりも、若手を求めいるのかもしれません。

そんな中でM-1が開催され、会場の空気が重い中で9組目、霜降り明星は爆笑をかっさらいました。

無論、これはお笑い軸の大きな流れの話であり霜降り明星の実力は明らかなものです。むしろ、一番の賞レースといってもいいM-1で最年少コンビが優勝したことでより、その大きなお笑いの流れは加速するかもしれません。

霜降り明星は1stラウンド同様にボケとツッコミの応酬、止まらないしゃべくりと動き、それは他を圧倒するものでした。

たまーに、霜降り明星のスタイルをキングコングノンスタイルに似ているとする意見がありますが、(どっちが優れているとかではなく)それは違うと思います。

まず、キンコンやノンスタはボケがボケまくり、ツッコミはそれにツッコむというだけであり、ツッコミ単体でも笑いが生きてくるわけではないんですよ。

あくまでもボケの連打、4分間でそれを加速させることで笑いを持続させるのです。

対して、霜降り明星せいやがボケて笑いが起き、粗品がツッコむことでまた笑いが大きくなる。つまりは、ツッコミでも笑いが生きていて、しかもそれによってネタの中で物語が生まれてくるわけです。

それはつまり、ツッコミが1つのボケに対してだけではなく、次のボケの流れにも活かされているということです。霜降り明星のネタを見ればわかりますが、粗品は息継ぎを絶妙なタイミングで行い、流れを止めないようにしてるんですよ。

最終決戦ネタの

せいやが学校の校長のくだりをするときの粗品のツッコミ

 

せいやが、学校の銅像が飯時の描写であることを表現、その後校長室で7代目の校長がひょうきんもの、12、13、14、代目は冷房が効きすぎている校長室、というボケの流れで、ツッコミの粗品は流れを止めないように一気にツッコむんですよ。

 

粗品「いや、あんま、飯時描写せえへんやろ〜〜7代目ひょうきん者〜〜この時代に学びたかった、11、12、13、14、冷房強すぎる!」

 

こんな綺麗な流れを止めないツッコミありますかね?しかも、合間にせいやの強い描写ボケがあるわけですから、ネタの一部分を掻い摘んでもこれで、4分間そのような状態が続いてるわけですから、それは優勝ですよ。

 

 

準優勝 和牛について

 

和牛のネタ、『オレオレ詐欺』は1stラウンド同様にブラックながらも和牛だから成立してしまう面白さでした。2人とも演技、ネタに入り込む力が強い。技術、ネタの構成だけで評価すれば一位だと思います。

裏切りにつぐ、裏切り、ネタの物語性も大変に面白い。

しかしながら、準優勝だった。

なぜか、

それは僕が思うに去年も感じたことですが、和牛のネタはM-1が決める公式ルールのネタ時間、4分00秒までじゃ到底収まらないんですよ。無理くり4分ネタにしている感じにしています。そのため、幾ら技術やネタの構成が素晴らしくても''時間''という観点で問題が生じる。

去年のファイナルステージのネタ時間もそうでしたが、4分を大幅に超える4分50秒でした。

予選や敗者復活戦では持ち時間を30秒超えるとドーンと音が鳴り、強制終了されます。

まあそれでも面白いコンビは予選を勝ち上がりますが、やはり、審査の対象としてマイナスにはなる。

そして、予選や敗者復活戦でそのルールを適用してる以上、やはり、決勝でも適用されると思います。

話を派生しますと、かつて、2005年のM-1グランプリではブラックマヨネーズが大会主催者だった島田紳助に「4分の使い方が抜群、ほんまに凄いわ」と褒められていました。

M-1は持ち時間、4分、ギリギリ4分30秒までなんですよ。いかに4分30秒までで良いネタをするか、なんですよ。

かなり酷な話ですが、仮にM-1がネタ時間5分までの大会なら和牛は圧倒的だったかもしれない。

ネタの構成が出来すぎているが故に4分を超えてしまう、キャパオーバー感がどうしても見えてくる。

時間以外のことも言えば、和牛は面白いんですが、その面白さは凄さや関心の方にやや傾いてしまっていると思います。

英語でいうと、funnyじゃなくてinterestingなんですよ。

そういった意味でバカバカしさもあり、4分間笑いを持続させた霜降り明星に軍配があがったと考えました。

 

和牛は誰しもが巧いとわかってる、だから来年もM-1の決勝でみたいですが、彼らにとってこれほど酷なことはないでしょうね。

 

 

 

 

 

ジャルジャル去り際

 

さて、ラストイヤーだったジャルジャルについて少し書きたいと思います。

ジャルジャルが初めてM-1の決勝に進出したのは2010年、彼らは皆がスーツで舞台に上がる中、独自の衣装で挑みました。

ネタも漫才の型をどんどん壊していくというもので、その結果、中田カウスからは79点を付けられます。

そして彼らが2度目に出場したのはM-1復活後の2015年、衣装はスーツでしたがネタはジャルジャルの世界観全開でしかも、ありそうでなかった互いが変な事を言い合うというだけに特化した画期的なもの。

しかしながら、3位で終わりました。

2016年は準決勝で敗退してしまいます。

そして、2017年、最大の武器(ゲーム形式のネタ)を身につけたジャルジャルは決勝進出を果たしますが、6位に終わります。

しかし、そのネタを松本人志は一番の高得点をつけ、他局のプロデューサーにも賞賛されるものでした。

それを踏まえ、ラストイヤーの今年、彼らは最大の武器をさらに磨きました。

そしてファイナルステージ進出、1stラウンドのネタ後は福徳が目に涙を浮かべます。

キングオブコントM-1グランプリに決勝進出してもなかなか報われなかった彼らはスタイルを変えずに最後まで貫き通しました。

そして最後のネタは『自己紹介』

オチで互いが「ジャルジャルでーす!」と言いながら去る彼らの姿は最高にかっこよく、最高に面白かったです。

M-1はもう出れないけれど、此処からがスタートなんだと思わせてくれました。まだまだこれから。

ありがとうジャルジャル〜〜!

めちゃめちゃ芸人としてかっこいい!

 

 

番組前半の重さ

 

今年のM-1グランプリは特に前半、特に重かった。それは僕が思うにその原因は3点あると思います。

まず、審査員のコメントです。

今大会は3時間半と前回より30分長くなった分、審査員のコメントをよく聞くことができました。しかし、だからこそ''ダメ出し''部分も多くなるわけで、松っちゃんやナイツ塙のように的確かつ最後は笑いで終わらす審査員だけではなく、辛辣かつ難解なコメントを''あえて言う''審査員の方もいました。

その審査員のコメントは「〇〇だから〜〜になる。」というよりも、先に結論ありきでそれに文章がくっついて、最後は「〜〜思う''私は''」、という風に帰結するものでした。

答えがまず用意され、それに合わせるようにコメントするため、聞きにくいですし、さらに辛辣すぎるために視聴者側も緊張してしまうんですよ。

応援していたコンビがおもっきりダメ出しされて、半ば自分が怒られたみたいになった状態ではなかなか笑えませんよね。

会場にいればそれはもっと感じたと思います。

 

だからこそ、中盤から松っちゃんが審査員の辛辣コメントをわからないようにフォローしつつ、ボケて会場を暖めることに徹したこと、敗退したスーパーマラドーナ田中がやたらとボケたこと、そしてトム・ブラウンのネタが大きく会場を暖めるのに貢献したと思います。

 

松っちゃんも最後のコメントで「後半からは芸人たちがチームプレイで番組自体を盛り上げようとしてて、あかんな、俺、泣きそう」という風なニュアンスの発言をしてましたしね。

 

次に言えるのはスポーツ選手3人がくじを引くという番組上の構成です。明らかにあそこだけ蛇足に感じました。

スポーツ選手が悪い訳では全くございません!

番組のリズムが崩れちゃった、緊張感が漂いすぎてたという理由です。

 

さらに、言えるのは3時間半の番組、しかもM-1グランプリという大舞台、おそらく観客のスタジオ拘束時間は4時間半以上だったと思います。

大特番であること、審査員のメンツ、異様な緊張感、ピリつくネタ後の審査員のコメント、そりゃ疲れますよ。。

それらが悪い空気になったのかなと、個人的には思いました。

 

M-1大反省会、その後...打ち上げ

 

M-1グランプリが終わってからすぐに、gyaoでは大反省会と題した番組が放送されました。司会は陣内、ゲストはとろサーモンです。

出場者を集めて今の心境を聞くという鬼のような企画ですが、正直、視聴者としては裏側を見ているようで放送してくれるのはありがたいです。酷な番組なのは間違いないですけどね!

そこでは各々、反省すべき点や今だから言えることを発言していました。

 

※12月7日現在、まだGYAOにて配信されているので見れます。

 

ギャロップ林が審査員の1人から言われた「ハゲ方が面白くない」というのを盛大にイジって笑いにしていました。

これがお笑いのとても良いところですよね。

慰めながらも皆で笑いに変える。素晴らしい。

 

是非、放送内容をご覧下さい。

 

それが終わると、次はサントリースポンサーの番組、M-1の打ち上げです。

司会は千鳥。

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居酒屋にて、千鳥が各コンビと話し合う内容ですが、此処でものっけからギャロップのことをイジるイジる。

個性を最大限に生かす、千鳥の優しさ。

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千鳥はM-1で2年連続最下位になった過去、それと今でもネタを書き漫才をしているため、皆、励まされます。

千鳥の、

「はじめての審査員はやりにくる」

「ハゲ方が面白くないって、なに〜〜??」

などなど、打ち上げだから発言できることをたくさん聞けました。

勿論、優勝者の霜降り明星には最大限のエールを送ります。

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※こちらも、12月7日現在、放送内容を見れるので是非見て欲しいです。

 

 

今年も冬の1つの風物詩、M-1グランプリが終わってしまいました。いやあ、一本のネタの裏にも色んなドラマがあり、素晴らしいですね。

 

ちなみに、僕的思った順位はこんな感じでした。

霜降り明星

ジャルジャル

③和牛

かまいたち

ギャロップ

⑥見取り図

⑦トムブラウン

⑧ミキ

スーパーマラドーナ

⑩ゆにばーす

 

 

個人的な見解です!

はい!

とにかく、

霜降り明星おめでとう!!

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おわり。

『M-1グランプリ2018』前編〜決勝1stラウンドを見て〜

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こんばんは自称バームクーヘンです。

12月2日、日曜日『M-1グランプリ2018』が開催されました。

さてさて、まず

〜審査員の方々は〜

今大会の審査員は前回と同様の七人ですが、顔ぶれが三人変わりました。

審査員は上沼恵美子松本人志サンドウィッチマン富澤、志らく、ナイツ塙、オール巨人さんたちでした。

新たに、志らくサンド富澤、ナイツ塙が審査員になりましたね。

 

個人的に思うのはナイツ塙さんの寸評が1番的を得ていたし、ダメ出してきな箇所でも空気が悪くならないよう配慮してたと思います。

勿論、オール巨人さんもそうですし、松本人志さんはコメントした後で、会場を暖めるためにボケたりして、芸人に対しての優しさにちょっとウルっとしました。

特に今大会は前半の空気がやたらと重かった。

 

後半から松っちゃんが会場を少しでも暖めることに徹してたのが印象的です。

 

出場コンビ

(出番順)

・見取り図(コンビ結成11年目)

スーパーマラドーナ(ラストイヤー)

かまいたち(14年目)

ジャルジャル(ラストイヤー)

ギャロップ(ラストイヤー)

・ゆにばーす(5年目)

・敗者復活組 ミキ(6年目)

・トムブラウン(9年目)

霜降り明星(5年目)

・和牛(12年目)

でした。

 

 

敗者復活戦

敗者復活の闘いも壮絶なもので、僕的にはプラスマイナス(ラストイヤー)がくると思ってたんですが、ミキでした。

そのため、前大会の出場コンビが6組もいるという形になりました。

プラスマイナスは大ウケしてましたし、劇場番長と言われるくらい、劇場で最もウケてるコンビなので残念でならないです。

しかも、しかも、ですよ。

敗者復活戦でかけたネタは過去からある、彼らを代表するネタやったんです。本気度がこちらにも伝わりました。

敗者復活組1位のミキと投票、1万8000票差なのが惜しいです。

こればっかりはしょうがないですが。。

あとはたくろう、金属バット、ウエストランドあたりが面白かったですね。金属バットはコメントもめちゃくちゃ良かったです。

 

本戦

 

1組目 見取り図『女性を紹介する』

 

「スポブラ」「あたおか」など、見取り図のお得意芸のワードツッコミ、知らない人物を序盤に言って後で「誰それ」と回収するあたり、盛山の力あるツッコミとふざけきったリリーのボケが合わさって良かったです。が、トップバッターなのと会場の空気が異様に重かったのか、ハマらず、点数は伸び悩みました。

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個人的には総得点が、あと15点〜20点ほど高くても良かったんじゃないかなと思いました。

志らくさんから指摘のあった「前半が古くさい」はどうなんでしょう。

古くさくても面白いてのはありますし、''古くさい''と言うのならば何故古くさい=低得点になったのかコメントするのが、あの場じゃないでしょうか。

しかも、見取り図のそれはあえてありがちなボケをして、後で回収していくスタイルなので、ネタの全体的な構成からすれば全然古くないと思いました。

 

2組目 スーパーマラドーナ『隣人』

 

ラストイヤーのスーパーマラドーナ、今回はサイコ強めのネタで、過去ネタのようなボケ連発というより、はドラマ仕立てに物語性、構成力に重きを置いたものだったと思います。

しかし、期待していたものが過去ネタのようなものと違うこと、会場の重い空気、じゃっかんサスペンスホラーに振り切ったネタが合致せず、点数は伸びませんでした。

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たしかに僕も見ててヒヤヒヤしましたし、ネタの物語性は良かったので、今大会自体にネタがハマらなかったのが残念です。

「ホラーと笑いは紙一重」と思いますが、ホラー部分が少し強かったのかなあ。。

少なくとも、M-1向けのネタではなかったかな、と僕も思いました。15分くらいのコントで見たいネタです。

 

3組目 かまいたち 『タイムマシーン』

 

準決勝ではトップウケと言われてたほどの強ネタ、『タイムマシーン』

かまいたちの漫才のスタイルはどんなネタでもしっかりと起承転結があり、風呂敷を大きく広げていく漫才で、それは見事でした。

終盤にかけてツッコミであるはずの濱家が壊れていき、ボケの山内の方が正しく思えてくるバカバカしさ。さらに、要所要所にドカンと大きな笑いもあり、見ていてかなり高得点を期待しました。

しかし、そうもいかず、ファイナルステージ当落線上の636点と落ち着いてしまいました。

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個人的には出順が悪かったのと、途中からツッコミの濱家が笑いながらネタをしてたこと、それに大阪弁で後半の言い合いのあの速さは聞き取りにくいのかと思いました。かまいたちはネタを4分以内で守ることに徹しすぎているのかもしれない、4分20秒くらいまではギリギリセーフですから。

逆に、ネタ時間を大幅に超える前提のネタのコンビ(後に触れます)もいて、難しいところです。

難しいなあ!僕的には645点は超えると思ってました。

 

4組目 ジャルジャル『国名わけっこ』

 

去年に引き続き、ゲーム形式の漫才です。会場はドンッと笑いが湧く。2人が何をして、そして何を言っているのか、自分は何で笑っているのか?奇妙なジャルジャルワールドに引き込まれていきます。「ゼンチン」「トラリア」「ドネシア」、訳もわからない言葉でこれだけ笑いを取れるジャルジャルのスタイルは圧巻でした。

さらに、去年、審査員の中では松本人志オール巨人以外にはほとんど否定されたゲーム形式の漫才をラストイヤーでするジャルジャルの強さ、とても良かったです。

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得点もこれまで最高点の648点になりました。

これまで審査員としてあまり、ジャルジャルを評価してこなかった中川家礼二が高得点の93をジャルジャルにつけ、コメントでは「彼らのスタイルを貫いた頑固さが良かった」と言いました。そのとき、ジャルジャル福徳が泣きそうになるんですよね。ああ、たまんないですね。

僕的にもこの点数は納得でした。

しかしながら高得点を付けたにも関わらず、「笑わなかった」というある、審査員。後に、ツイッターでも弁明していましたが、どうもその寸評は理解し難いものでした。

そのコメントの後に、ネタ中爆笑していてジャルジャルに得点も高く付けた松本人志が「なんか屁出た」と、それくらいバカバカしく面白かったと笑いを交えて評価するところが最高でしたね。

 

5組目 ギャロップ 『合コン』

 

ラストイヤー、ギャロップ 。毎年、準々決勝で大ウケしてても何故か落とされてきたいぶし銀漫才師がラストイヤーに決勝進出します。

ネタの構成、バランス、漫才師としての巧さ、申し分ない出来でしたが、なかなかお客さんにハマらず、得点も伸び悩みました。

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おそらく、前の組のジャルジャルが型を壊す漫才をして会場を沸かせた後に、正統派しゃべくり漫才をしたため、そのギャップにノレなかったのかもしれません。惜しい!惜しい!

個人的にはトップバッターの見取り図同様に総得点があと10〜15点高くても良かったと思いました。

そして、審査員のコメントでは「ハゲ方が面白くない」と、辛辣すぎる意見が出ます。

個性を殺すのがいじめ、個性を生かすのがイジリだとしたらこの発言はどちらでしょうか。

漫才の寸評にもなっていないですし、芸人を殺しにくる発言はなんなんですかね。

でも、でもですよ、その辛辣なコメントの後に松本人志が「そんなにハゲてないよ」と、あえて前に発言した審査員のコメントにのっかりながらも、場をわかす笑いでフォローしたのに感銘しました。

松っちゃん、最高〜〜。芸人は芸人に優しい。

 

6組目 ゆにばーす 『遊園地』

 

会場がまだ温まらないなかでの後半、明らかに緊張感が漂うゆにばーす。ネタ自体も去年と比べてしまうフィルターに皆がかかってしまうため、凄く伸び悩み、さらに最初で1度ズレたものが時間が経つにつれてそのズレが大きくなり、残念な結果になってしまいました。

んん、こればっかりはしょうがないかなあ。ゆにばーすはネタの方向転換するかも??ハラちゃんのしゃべくり漫才の才能が開花した気がします。

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7組目 敗者復活組 ミキ『ジャニーズ』

 

題材は弟が勝手にジャニーズ事務所にお兄ちゃんの履歴書を送ったというシンプルなもの。

ですが、ツッコミの勢い、そして漫才師として流石にうまい。

兄弟漫才師は互いのコンビネーションが、やはり他とは違う。しかしながら、やからこそ他人同士のコンビでは出せる味が出ないのも事実なのかなぁと思いました。

あと去年もM-1についてのブログで書きましたが、弟のボケが弱いんですよ。ツッコミでガンッとネタの出来を上げている感じがします。勿論、実力はあってうまい、だけどもボケが弱い。ミキの漫才の一個のボケを、あのペースで聞かずに、掻い摘んで聞いたらわかると思います。

んん、その辺りも強くなれば最強やと思いました。

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8組目 トム・ブラウン『なかじまくん』

 

理解できないから面白い、これに尽きると思います。型にもハマらないし、理解もできない、だから面白い。「なかじまくんを5人集めて合体させて、なかじマックスを作る」という題材、それだけで面白い。

何気にツッコミが最後の方はノリノリなのと、合体する前のボケの動作がめっちゃ面白いんですよね。そういう派生した見方もできる、とても変やけどめちゃくちゃ面白い漫才やと思いました。

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そしてここまで何処かのコンビがウケてもその次は冷えていた会場にやっと火がつきました。

おそらく、トムブラウンを見たことかない人たちの前でトムブラウンは自らのヘンテコ漫才をやりきり、爆笑を取った。

そこにはかなりのエネルギーが働いたと思います。

 

会場が暖まった状態で、残すは2組。

今大会ファイナリストでは最年少コンビで霜降り明星か、優勝候補和牛か、9組目は霜降り明星でした。

 

9組目 霜降り明星『豪華客船』

 

準決勝での評判は聞いていましたが、会場にハマる、ハマる。全ボケ大ウケ。粗品のツッコミとせいやのノリノリのボケ。ツカミから全体の流れ、演技や2人のコンビネーション、そして畳み掛けも問題なく怒涛のように笑いが押し寄せます。

今大会、ジャルジャルに次ぐ爆発をした霜降りは高得点を叩き出します。

 

合計 662点

 

審査員コメントではナイツ塙の発言が印象的でした。「芸人として2人は強い」

まさにその言葉が2人に当てはまると思います。キン肉マンでいうところの、超人パワーなるものが芸人にもあるならば、霜降り明星の芸人パワーは圧倒的に高い。

一気に優勝候補に踊りでました。

 

そして、

10組目 和牛 『ゾンビ』

 

和牛は前大会もそうでしたが、三回戦、準々決勝までは大丈夫なのか?とヒヤヒヤさせるくらい勝負ネタではないのをかけて、準決勝でやっと秘密兵器を出してきます。

そしてそれは圧倒的に強いネタ。

『ゾンビ』、前半はゆったり目に進み、物語の序章のようです。しかしながら、後半で一気にデカイ笑いを入れる。ネタの構成、演技、技術、抜群です。うますぎる。

さすが、和牛といったところ。

 

得点も高く、合計は656点でした。

 

これでファイナルステージ進出コンビ3組が決まります。

 

 

ジャルジャルー和牛ー霜降り明星

 

ファイナルステージは

次回(後編)つづきます。

 

おわり。

大森靖子さんの 『死神』を聴いて。

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こんばんは自称バームクーヘンです。

僕は以前、大森靖子さんの著書『超歌手』についての記事を書きました。

 

それからというもの、アルバム『クソカワPARTY』の曲、そしてMVを見て、聴いて、色々と思う部分がありました。

そこで、自分の考えを交えながら前回の『超歌手』の記事をもう少し噛み砕いた感じで書きたいと思います。

 

⚠︎曲やMVの解説というよりは僕個人が感じたことを書いています。

 

『死神』

アルバム一曲目『死神』

メロディついて。

初め、綺麗な旋律が流れます。

そしてその後突然、ロック調に極端に切り替わります。

そこからは大森靖子さんの声とともに、この世を一掃して作り直すかのように音そして言葉が広がり、独特の世界観に包まれます。

 

さて、曲名の『死神』ですが、なぜ死神なのでしょう。

僕が思うに、大森靖子さんはいくつかの曲にて「あえて逆からアプローチする表現」の仕方をしていると感じます。

逆からのアプローチとは何か?

それは、生きることを前提に死を描くのではなく、死を描くことで生を描くということです。

表現の多くは前者(生きているから死ぬことが尊い)ですが、僕はその逆のアプローチ(死ぬから生きることが尊い)という表現方法も存在していいと思います。

それを美しく、見事に大森靖子さんは表現している。

要は普通ならこうするところをあえて逆のものを見せてから伝えたいことを表現する訳です。

歌詞でも「あえて逆からアプローチする表現」は顕著に現れます。

 

ー履歴書は全部嘘でした 美容室でも嘘を名乗りましたー

 

羅列される嘘、繰り返される嘘、''だからこそ本当の自分''が際立つわけです。

 

さらに、

 

ーいつか別れるかもしれないから 形あるものは全ていらないー

 

このように「いつかのあるか無いかわからない未来」という観念がまず提示されるのです。

あえてマイナスから導入することで、あえて自分からすると不幸せな場面を提示、想像する事で、いつか見つける、又は既に存在しているかけがえのない人の''唯一性''が際立つのです。

 

よく考えれば、恋愛において自分が相手と関係のある存在ならば、その関係が続くか続かないかどちらかしかないわけです。

 

そこを、あえて、「いつか別れるかもしれない」と、無い未来を最初に提示して聴く側に相手との関係性、それが流動的か唯一性があるものなのか考えさせるわけです。

ただし、間違っても本当に大切な人を自己完結して終わらしてしまわないようにしましょう。それを見誤れば、未来が強迫観念となり、自分の首をただ締めてしまうことになる。

 

さてさて、『死神』はあえて自分にとってマイナスなことを提示することで聴く側に''考えさせる判断''を委ねます。

 

そしてその後の歌詞で

 

ーだけど

見た目とか体裁とかどうでもいいっていって抱きしめてよ
いつか男とか女とか関係なくなるくらいに愛し合おうよー

 

と歌います。

『死神』はこのような歌詞の反復を意識すれば、聴き方が大きく変わると思います。

僕が思うに、大森靖子さんは「逆からアプローチ」しているわけで、ダウナー、聴く側がどんどん沈むために歌っているわけではないのです。

見た目や体裁に捉われる社会や日常、どうせそれは変わらないし変えたくても変えられない。曲のメッセージとしては「どうせ社会はクソなんだから、個人ベースで日常を密にしよう」ということだと僕は感じました。

 

自分が天使か死神かわからない、相手も自分にとっての悪魔か天使かメシアなのかはわからない。

だけれどその大切な人と大切に過ごしたい。

ならばそんなの(死神or天使)はどちらでもいい、社会がいう見た目や体裁もどうでもいい。

そんなことはどうでもいいから、死神でもいいから愛をもってして大切にしてくれる人と幸せになろうよ、と。

いつか死ぬからこそ、''生''が尊い

''死''から''生''を考えるわけです。

 

「自分はきっと''死神''なんだ」と断定してから、そのようなメッセージが伝えられます。

 

ー死んだように生きてこそ 生きられるこの星が弱った時に
反旗を翻せ 世界を殺める 僕は死神さ

川は海へとひろがる 人は死へと溢れる
やり尽くしたかって西陽が責めてくる
かなしみを金にして 怒りで花を咲かせて
その全てが愛に基づいて蠢いているー

 

そしてここの歌詞が僕は特に好きですね。

 

ー世界の終わりなんて僕たちはもうとっくに
みたことあったんだ そう 何度も負けたけどー

 

「世界の終わりなんて僕たちはもうとっくに見たことあったんだ」イコール、そもそも世界の終わりなんて見れないしそれは不可能なため、その認識、終末を見た記憶なんてのは想像としてはあっても、体験としては無い訳です。

つまり、要約すればこの社会に世界の終わりなんて無いというわけです。

夢見る2人の世界、「ここではない何処か」はこの社会にはないのです。

だから、日常を生きるしかない。それは負け続ける日々かもしれないけれど、かけがえのない日々でもあるかもしれない。

 

例え、人からどう言われようが、死神だと思われようが、日常を密に、そして愛を持ち、''死''から''生''を考えることで終わらない日常を生きる日々を、少しでも長く続けられるのではないでしょうか。

 

『死神』のMVではどうやら実際に起きた事件や事故を立て続けに映像化し、繋いでいるように思います。どれも''死''関連。

''死''の洗濯をする大森靖子さん、それは死と生の狭間にいるようで、それが死神なのか天使なのかは見ている側はわからない。判断できないのです。

ただ、作品として''死''をテーマにすることで、同時に''生''のメッセージ性が存分に現れてくるわけです。

 

なんてことない日常から光を見出すこと、小さな幸せを見つけることに、いつからか恐怖心を持ってしまった方に、特に『死神』のメッセージは沁みるでしょう。

実はすぐそこに光はあった、闇からでもそれはわかる。

 

『死神』、僕は大森靖子さんの曲では『マジックミラー』の次に好きですね。

 

ー僕が闘う場所で命が蠢いているー

 

自分の足で立っていたいですね。

ありがとうございました。

 

 

おわり。

 

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IT/''ソレ(ガトーレーズン)''を夜中に爆食いしたら終わり。

ブルボンのガトーレーズン。

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みんなたぶん一度は食べたことある、ガトーレーズン。ブルボンの。

この菓子の印象は昔から、「お金持ちの家に常にある」て感じ。

小学校のとき、まあまあお金持ちの同級生の家に行くと、このお菓子かカントリーマアムが大量にあって、俺はその頃から大人になったらアホみたいに買ってやろうと思っていた。

 

そして、先月くらいから、やたらと俺はこの菓子を買っている。

イオンのスーパーでこれが並んでりゃ、陳列されてる前で止まることなく、歩きながらポンッとカゴに入れる。

俺は歩きながら、俺は躊躇なくブルボンのガトーレーズンを買う。

ためらいなく買い物カゴに入れる。いや、ぶち込む。

小学校時代の俺よ、あのとき羨ましかったお菓子、陳列されている前を止まることなく歩きながら取ってカゴに入れているぞ俺は!

 

く〜〜。

 

そして昨日、10月9日19時頃、イオンのスーパーにて、「君のためにイオンのスーパー来たわけじゃないからね?」と、ガトーレーズンに心の中で語りながら、またソレをカゴに入れた。

 

そしてその日の夜、いつもは半分くらいで置いておくところを一袋まるまる食べてしまった。

''ソレ''を。

そして僕は気付いたら電気もつけっぱ、ガトーレーズンの袋の残骸もそのままで寝てしまっていた。

 

🐔

 

翌朝、なんか胃が気持ち悪い。

胸焼けがやばい

仕事に行く電車の中でも、改札出るか出ないかの微妙なラインのところでも、名前のない橋の上を歩いてるときでも、''ソレ''は襲ってくる。

 

「ぜ、ぜったいに犯人はあいつや...」

 

そしてこのブログを書いている今も、胸焼けしています。

''ソレ''め。。。

 

俺の上位に立とうとしやがって、ちくしょう!

舐めてたらヤラレましたわ。

 

これからは陳列されているところで一度、止まって考えながら買おう。

これからはブルボンのガトーレーズンを買うためにイオンのスーパーに行こう。

 

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ソ、''ソレ''め。

 

 

 

おわり。

 

 

ガトーレーズンは真夜中に爆食いするものではないですね。はい。