おっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱい
もう、うるせえよ!!!!!!!
「おっぱい」とただ叫ぶ人は目の前に本当のおっぱいが来た時に圧倒されて何もできなくなると思うんですよ
「おっぱい」と叫びたくなる気持ちはわかりますが、中身を考えようぜと思うんです。
何故、おっぱいと叫びたくなるのか、何故、おっぱいに期待を寄せるのか熟考すべきだと私は思いました。
「とりあえず、おっぱい!」
は卒業しましょう
もっと真剣にこの先の展開を考えて謳いましょう、「おっぱい!」と。
ーここからはテーマ別に話します。ー
*この先、下記の文章全て下ネタではございません。
第1「あの頃のおっぱい」
まず私達は乳児期に乳房から栄養を補給していました。
つまり、その頃は性欲としてのおっぱいでは無く、食欲としておっぱいと向き合っていたのです。
それがいつからか、性欲に比重がいくようになります。
貴方、あの頃、栄養補給として向き合っていたおっぱいを忘れていませんか?
あれが原点なんですよ。
動揺の”ふるさと”という曲がありますよね
僕は思うんですよ。
あの歌詞に何故「おっぱい」という文字が無いのか。我々のふるさとは、
「おっぱい」でしょ?
第2「還りたい」
僕に嫁さんができて子供が産まれたとき嫁さんの母乳を飲むことが僕の夢の1つです。嫁さんができたら絶対にします。もう、これは絶対です。
相当拒まれたら諦めますが、そんときは夢にときめけ明日にきらめけ精神で頼み込みます。
好きな人の母乳を飲んで還ってるー!!!!!て思いたいんですよ。
ここでも、おっぱいは原点に還れます。
第3「理想のおっぱい」
頭の中で理想のおっぱいを思い描いたとき、どうなりますか?
形状はどうですか
綺麗でちょい大きいおっぱいを想像しているならそれは間違いかもしれません。
それは理想ではなく刷り込まれた虚像です。モノとしておっぱいを捉えるのでは無く、そこに内包された意味を持ちましょう。
自分が精神的に還ることができるおっぱいを求めるべきだと考えます。
おっぱいに大きさや色とは別で、精神的、内面に隠された意味を考えましょう。
(宗教じみてきたので一応言いますが、これは布教ではございません)
第4「尊敬・敬意」
おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!と乱暴に言い放つのはどうなんでしょうか。
おっぱいの気持ちにもなりましょう。
おっぱいにも敬意を払うべきです。
日本には尊敬語や謙譲語がありますが、それはおっぱいにもあるべきです。
これからは尊敬するおっぱいに対しては「御っぱい」と言いましょう
最低限、無礼の無いように心がけましょう。
教育勅語にも確かおっぱいの尊敬語は、「御っぱい」だと書いた記憶がございます嘘ですありがとうございました
ーあとがきー
ははは〜!!
おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!!!この世はおっぱいさ!!!!!!