お久しぶりですレモンです。
以前の「超・おっぱい回帰論」に続く僕の、いや俺の思想が全面に出る話です。
おっぱい回帰論ではおっぱいがいかに原点に還れるか述べました。
今回はお尻について語りたいと思います。
*一度ツイッターでつぶやいたことと重複します。
1 和平
まず、僕はお尻が大好きですただの尻フェチです。尻贔屓です。尻ニズム又は尻イズムに陶酔してます。
しかしながら僕は常々考えていました。
果たしてお尻はお尻だけが良いのか?
お尻に惹かれるのはお尻のすぐそばにあの、母なる大地があるからでは無いのか?
さらにはアナの存在。
おっぱいは乳首も含めておっぱいですが、アナはお尻の一部に含むのでしょうか?
そんな概念に関する書物も無く、ただ考えるしかありません。
お尻がお尻である強さはなんなのでしょうか?
やはりそれは母なる大地とアナがあるからだと思います。
これはお尻がカラダの地理的な意味で運命にあると思いました。
お尻はお尻だけで独立できないんですよ。
お尻はいわば連合のようなものです。
あの、一帯で強さを誇るんですよ。
お尻はやっぱり地理的に連合であるから強いってわけで、別の場所にお尻があったらどうやったんでしょうか。
お尻がいかにおっぱいに勝てるのか。
僕の中では僅差でお尻が好きです。
おっぱいは強いけどお尻は他の部位もあるからこそ、良いんですよね。
なので、まあ社会学的にもおっぱいが連合に攻めるってのは無いでしょう。
和平は保たれたわけですが、まあそれでも安心はできないですよね。
歴史は繰り返します。
2 顔を埋めて
あの娘のお尻に顔を埋めて死にたいってやっぱり思うじゃないですか、男なら。
でもそれはぼくは間違いやと思うんですよ。
その娘からしたら自分のケツで死なれたら嫌でしょ。自暴自棄になりますよ。
なんで、ぼくはね、
お尻に顔をうずめて生きたいって思うんです。
僕はお尻に顔をうずめて生きたい
Iliveですよ。
お尻っていいですね。
見てるとなんか、一周して目に入れたくなります
絶対入らないんですけどね、
おわり