ぼんくら解体新書

俺は絶対サブカル男子ではないっ!

銀杏BOYZ『骨』のMVを見た

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好きなものってのは、だんだん''思い入れがあるから好き''って側面も出てきて、本当にそれは良いものなのか判断する際にフィルターがかかってしまう。歌っている人が好きなら、その人がどんな曲を歌おうとも認めてしまう
楽曲の中で異常に思い入れがある曲が存在するなら、その曲はその曲自体の優れた面と、自分の思い入れで、好きが形成される、形成されてしまう。
銀杏BOYZが好きで峯田が好きで、何曲かは自分の中で特別な思い入れがある。そんな曲たちは自信を持って好きだと言えるし、曲としても良いと言える。
ただ、銀杏BOYZだからといって全肯定する感じにもならなくて、実際、この曲はあまり聴かないってのもある、少ないけどね!!
それは昔というか、前の体制のときの銀杏の曲でも2曲くらいあるし、エンジェルベイビーもそう
まあやから3、4曲くらいですかね

 

 

「曲に意味なんてない」
その言葉はその曲を作った人が言う言葉であって聴いてる側が聴いてる側に使うのはどうなの?と思う
たしかに作り手にその曲を作った意味なんてなくても、聴いてる人の中で意味ができあがるわけじゃないですか
その意味ってのはその人の思い入れでもあって聴いてる人によって更に曲が形成されていく。
んで余計に好きになってくし、音楽にこじらせていく
銀杏BOYZを聴き始めて、好きになって、銀杏''関連''のものまで手を出してくのがわりとファンの人らの中でも多いと思う
わかりやすいのはグミチョコレートパイン読むとか、峯田が主演の映画見るとか
そんな峯田が主演の映画『アイデン&ティティ』
原作はみうらじゅん
峯田と麻生久美子さんが出演していて今からおおよそ15年前なんでどちらも若い
昨日公開された銀杏BOYZの『骨』のMVはどう考えてもこの、『アイデン&ティティ』と関連してる。
商店街をただ歩く2人、ほんまにただ歩くだけで、そのなんでもない日常、なんでもなさすぎるけど2人で歩いてることの幸せ、それを見た。
何か2人に特別なことが起こるわけでもない、そういうのはいらなくて、ただの2人の歩き、それだけで見てる側もなんだか幸せになるし、泣けてくる。
『アイデン&ティティ』を見てなくとも良いものに思えるかもしれない。
ただ、MVが作られる前提として、明らかに制作サイドは『アイデン&ティティ』を意識したと思う。ていうかしてなくてもファンは関連づけると想定はできる。たしかに自分も映画を思い出したし、ツイッターでもそれは言われてた。
おおよそ15年前の映画で、あれからの月日、銀杏も自分も変わった。そこで銀杏の新曲、骨のMVで、ただ、商店街を幸せそうに歩く峯田と麻生久美子さん。
そんなんね、良いに決まってるじゃないですか、いいね👍があるなら押すしかないじゃないですか、
最初に言うた思い入れフィルターもかかってますし、麻生久美子さんの絶妙な女性像、そら良いですよ。
エンジェルベイビーと二回戦のMVはそのMVの中で話があって、単独の作品でした。そこに銀杏ファンが喜ぶ前提や設定は別になかった。
なくても全然良いのです、その単独のMV内での世界観で勝負すればいいのだから。てか本来は世界観や物語だけで勝負する場やと思うんですけどね。
でも、骨のMVは銀杏ファンが喜ぶような前提や設定をぶちこんできました
そんなん、そんなん、良いに決まってるじゃないですか、
ファンはそら喜ぶでしょ
俺もええやんってなったし

でも見誤ってはいけないのは骨のMVは前提があって成立してるということであって、MVを見る際も思い入れフィルターを通して見ることしかできなくて、それはそれでええんやけど、それがベストかって言われたらわからない
前提で成り立ってるとか、ファンが喜ぶ設定であること。
骨のMVは僕は良いと思います、でも良いと思うと同時に「これでいいのか?」て思ったのもあって、ほんま、ややこしいファンですね、すいません、
でも思ったんですよ
そら『アイデン&ティティ』見てない人が見ても良いものとは思いますけど、それは見る側の話で、制作サイドは『アイデン&ティティ』ありきでしょ、

あー!ややこしいやつやわ!僕は!やんなっちゃうよー!
なんで良いと思ってもこう、気になるとこがあるのでしょうか、素直に良いねー!だけ言えないのでしょうか、
これも''思い入れ''のせいですかね

こんな意見、銀杏BOYZからしたら余計なお世話の極みですからね

あと感じたのは好きなあの娘に手を伸ばすけど届かないってのが昔の銀杏なら、今はあの娘が隣にいる状態なんやなと思いましたよ
手は届くんです、もう、あの娘の手は握れるんですよ、銀杏BOYZは。
やからって違うって話じゃなくてそれはそれで良いです、ただそう変わったんやなって思いました
そういう変化、2人の世界がもう存在している状態を歌うっていうのを峯田と麻生久美子さんがただ、商店街を歩くMVで知れて良かったとも思います。 

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骨のMVは前提ありきのものであってそこには思い入れも重くのしかかってきて、そういう作品だと思いました。もちろん、それはそれで良いのですが、そればっかりはきつい、やっぱり本当に作るべきは目新しいものであって、何回も言いますけど、骨のMVは良いと思います。けど他のMVとは違う系列なんです。単独で存在しているものではないし、そのMVだけの物語があるわけじゃない。

今回のMVは良いけども、それはそういうの(前提や設定としてファンが喜ぶのを詰めたMV)もあっても良いってことと思いました。  ただ、そういう作品がメイン、銀杏の主としてなってはならないです。それは前進することにならない。本来はエンジェルベイビーや二回戦のMVが主であり、そちらが多く評価され、前提ありきの骨のMVはサブとして、そういうMVもあって良いって感じにならないといけないと感じました。

 でも、そんな僕のようにいちいち意味を見つけようとしたりMVの世界観がどうとか、そんな見方は懐古主義に繋がるともなるとも思います

骨のMVのようなファン受け絶対の作品の方が単独で存在する作品よりウケてはダメだと思うし、かといって懐古主義にもなっては前進もしない。

過去作のオマージュやリブート的、ファンが喜ぶスタイルから更に新たなものを生み出す、というよりは制作サイドからすればアイデン&ティティ前提で、''思い入れ''に特化した骨のMV、それは、たとえ良いものでも決して新たなものを生み出したわけではないと思います。振り返りの作業はたしかに必要です、やから良いと思いますけど、これがメインになってはいけない。

銀杏トリビュートアルバムや銀杏BOYZのムック本しかり、振り返りは何回でもできてしまいます。ただ、それは前進させる機会にはなりますが、そのような作品で前進するわけではないと思います。

 

僕は銀杏BOYZを懐古主義に走らず、かといって疑問の念を全く持たないってのもせずに、良いバランスで見たいし、銀杏の作品を良いと思いたいし、評価したいですけど、そもそもそんなかしこまった見方さえ、おかしいといえばおかしい

もっと気楽に見てもいいんですけど、僕の中で銀杏を聴く意味が大きくなりすぎて、思い入れもあってね、変なやたらややこいやつになっちゃってます。

 

とにかくね、いろんな感情や考えが湧くMVでした。
そういうMVを作れるのが銀杏BOYZの良さであり、峯田の良さでもあるなと思いました。

 

あと、文章読んでなんじゃお前って思われた方、すいませんでした。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

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いや、しかし色々言いましたけど麻生久美子さんってほんといいですねえ。

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夢で逢えたらいいなー!!

 

 

おわり