こんばんは自称バームクーヘンです。
先日、銀杏BOYZ峯田和伸が「しゃべくり007」に出演しましたね。
そのとき僕はこんなツイートをしました。
すると、僕の質問箱に銀杏BOYZや峯田に関する質問が山ほどきましてもうブログの記事にまとめようと思いました。
質問は質問箱にきた質問を抜粋し、内容を少し変えてはいますが、ニュアンスは同じです。
まず、ゴイステ解散後、『DOOR』『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革』を同時リリースしたときの銀杏BOYZの当時の熱量は凄いものでした。
それはYouTubeなどの映像で見てもすぐにわかります。
僕もその時期の銀杏を見てぞっこんしました。
質問、銀杏BOYZがカルト化したのは何故?
その理由の一つは、人はつまらない日常、特に社会はクソだと思っている人(僕も含めて)からすると、日常をぶっ壊してくれそうな人間に惹かれてしまいます。
「この人なら信頼できる」「この人はちがう」と。
そして、その人によって非日常体験をできる場合もあります。
例えばその人の影響をモロに受けたことで自分にもトンデモナイことが起きたり。そんなことが起きるとまあ、こじらせますが、逆にトンデモナイ世界を少しでも見せてくれると、今度は自分からそのトンデモナイ世界を目指そうとします。
日常と非日常ではなく、日常を捨てようとして非日常の方に走ってしまう感じです。
非日常があるのは日常がクソだから存在するのに、最初からトンデモナイ世界に入ろう、その住人に成り切ろうとするのです。
しかし残念ながら日常をぶっ壊してくれそうな人が現れても結果的にその人が自分を幸せにしてくれるかはわかりません。
峯田がどうかは人によりますが、痛快なものに惹かれるのは危険と隣り合わせなんですよ。
現に色んな人たちから「銀杏BOYZ好きにならなかったら今より幸せになれたかも」と何回も聞きました。
銀杏BOYZは特性として童貞や精神的童貞、さらにあの娘側にも普通に恋愛していいという権利を与えたと思いますが、それは同時にその人を「童貞」「あの娘」てワードの中に囲ってしまうことでもあると思うんですよ。
人は一面だけではありません。あるジャンルに囲われるとそのジャンルを言い訳にしたり、それに留まろうとしたり、逆にレッテルを貼られることでもっとこじらせてしまいます。
銀杏BOYZ峯田は「あなたも恋愛していい」と伝えることで、それまで自分がいた場所が闇だったことを知らせてきます。
そうするとそんなこと教えてくれたバンドを崇むしかなくなるじゃないですか。
質問、銀杏BOYZを聴いて幸せになれないのですか?
まず、銀杏の世界観において歌詞に出てくる童貞男が倒す相手がイケてるアイツである限り、童貞はいずれ、イケてるアイツになるしかないのです。これは音楽に限らず、物語上、その、物語の父(越えなければいけない存在)を越えないと主人公は最初からなんら変わらない者で、それは物語ではなくなってしまうというパラドックスがあるからです。
そして銀杏の世界観ではあの娘側は永遠に幻の中、光の中に閉じ込められるしかないんですよ。感の鋭い女性の銀杏BOYZ好きの人はそこの違和感に気付いているようです。
僕もこのブログの『エンジェルベイビーのMVについて』の記事で「銀杏の曲は女性側は昔から変化してない、峯田の思考が変化してるなら''あの娘''とされる女性側の変化や成長も見たい」みたいなニュアンスのこと書いたんですが、そのときは銀杏の2chスレで男の銀杏ファンにボロクソ叩かれました。
変わらないのはどっちなんですかね。
質問、峯田という神は死んだのか?
峯田和伸は家庭や学校や社会の共同体から外れてしまった一部の若者たちにカルト的に崇拝される教祖であり、神でした。
(共同体意識の低下は時代背景も絡んできますが、長くなるので割愛します。)
そしておそらく、峯田は自身で若者たちの救世主やと思っていたはず。
やからファンの言葉をガラケーで受信し続けた。神は受動するという役目があるからです。そして峯田は自分の世界観に、少年少女を引き込む力がありました。
で、そのときは日常のクソ社会から救ってくれたが数年後何が起きたか?
僕も含めてこじらせる人たちが続出しました。まあそれも銀杏のせいには決してできないですが、その要因の一つでもあるくらい銀杏にはエネルギーがありました。
しかし、そんな姿(2005年あたり)の姿はもうありません。峯田はただただ「生きたい」って話であの頃の教祖の峯田が死んでから3日後に復活するわけではないです。
質問、銀杏BOYZは終わりましたか?
かつての銀杏BOYZはね、聴いてしまうとそれまで知らなかった価値観が芽生えてしまうというか、むしろ芽生えた方がその場所(クソな日常)から離れるためには良いんですけど、どうも一回入ってしまった銀杏の世界観から全く離れられない人の方が多い。バランスが悪いというか、良い距離感で聴けないバンドなんですよ。
そこが良さでもあるんですが、ヤバさでもあります。
それは何故なのか?銀杏はね、曲的に暗闇(クソ日常)の中に光を見出そうとするんですよ。
でも、実際光は別の場所、外側の世界にあると思います。裏表の関係じゃなくて、別々にあるというかね。やから手の届かないものに必死にしがみついてしまうことになる、可能性があるんですよ。
前も書きましたが、刹那的な恋愛に憧れてもそれは一瞬で終わって、現実に引き戻されるので不幸せしか待ってないんですよ。
今の銀杏BOYZは少しそこらへんが変わったと思います。
質問、銀杏がいうあの娘に私もなれますか?
みんなきっと誰かのあの娘やと思います。それはあなたもそう。もっと言うと、銀杏がいうようなあの娘にならなくても良いと思いますよ。
むしろ、『ぽあだむ』のMVに出てしまったが故に銀杏の世界観の''あの娘''から出れなくなったと言う人、何人か聞きました。
質問、あなたは銀杏嫌いな人の気持ちをわかりますか?
銀杏聴いてたらだんだん不幸せが自分を形成していってることに気付きます。だんだん。
そういうのが嫌いな人も当然いるでしょう。
でも、銀杏ファンはそれがやめれないという循環があるんです。
やからなんとかしたい。できるならば。
銀杏BOYZが描く、恋愛物語で2人が幸せになることはないですからね。
どっちかがボロボロになるまでがセットなんですよ。やから峯田に成り切ったり、自分の人生を銀杏の曲になぞるのは出来る限りやめた方が良いと思います。まあそんなんは勝手ですけど。
峯田和伸は過去、恋愛玄人のみの嗜好品として楽しまれてきた恋愛曲を童貞にも解放した革命者です。それは事実です。
さらに、オシャレ野郎に負け続けてきた男の歌作ってた峯田が今やすっかり権威側になった。
イケてるヤツという権威に対しての童貞、でもそれも権威化して、今や童貞という権威が出来ています。
はあ。僕はとりあえず銀杏界隈に溢れるビジネス童貞を滅ぼしていきます。
誰かが不幸せになることに加担したくはないですね。
ミニミニ峯田はいっぱいいますよ。
あと峯田がテレビで照れたりする感じってもう、テレビ芸じゃないですか?あれ
おわり
みんな安心したいよなあ。