ぼんくら解体新書

俺は絶対サブカル男子ではないっ!

映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』を見て感じること、

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こんばんは自称バームクーヘンです。

今回は映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』について書きたいと思います。

監督は『モテキ』『バクマン。』などの実写化を手がけてきた大根仁さん。

 

ここからおもっきりネタバレ含みます。

 

ーざっくりあらすじー

主人公コーロキは奥田民生に憧れるオシャレ雑誌マレの、編集者。

取材先で出会った天海あかりに惹かれ、夢中になっていくが、次第にあかりに振り回され、さらにそのような境遇の男たちが身近にいることを知る。

 

奥田民生になりたいボーイ、感想ー

 

まず、大根仁監督の作品は、好き嫌いがわかれるものが多いと思います。

モテキ』などは非常にキャラを丁寧に描いていて、挿入歌や出てくるワードなど、映画は''やりすぎ感''がありますが、ドラマは凄くまとまっていたと思います。

めちゃめちゃマイナーじゃないけれど、好きな人は好きくらいの、良い意味で聴きやすく、興味が湧きやすい文化(音楽や漫画のワード)をチョイスしていたと思います。

 

ここから本題、『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』はどうか。

勿論、奥田民生は良いですし音楽は誰が聴いても嫌とは感じないでしょう。

ただ、気になったのは劇中に登場するキャラです。

主人公コーロキはある程度、そのキャラの出自が説明されますが、それ以外の登場人物については殆ど劇中で語られません。

物語上、何かがあって、だからこのキャラは面白い!となるのではなく、面白いキャラを全て良い役者に任せっきりのように感じ、言うならばキャラの出落ち。見た瞬間から''こういう人''とこちらがレッテルを貼ってしまうようにしてるんじゃないかと思いました。

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リリーフランキーに、安藤サクラ天海祐希松尾スズキ新井浩文

その役者たちのもともと持っているキャラを出すだけで物語の世界でどう生きてきたか、どういう思考回路なのか説明は省略。よって、キャラに深みが足りなくなると思いました。

出演してる役者さんはすごく良いです。

演出の意図するところが、受け手にとって悪く見えるようになってしまってるのでは、と僕は思いました。

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物語上、なぜそのキャラになったのか、まるで一面しかその登場人物にないと思ってしまうように過剰にピックアップされます。

変なフリーライターリリーフランキーはずっと変ですし、良い味出してるけどヤバそうな松尾スズキはずっとその調子で、過剰に一面だけをアピールしすぎじゃないの?と見てて思いました。

レッテルをどんどん貼っていく感じがしたんですよね。

物語で説明するのではなく、現実にいそうにないやり過ぎなキャラで物語を説明しようとするのです。

特に特にヒロイン、水原希子について、例えば漫画の『モテキ』の小宮山夏樹の思考はダイレクトにわかるります(下記の画像の台詞のように)

しかしながら、どうも映画『奥田民生になりたいボーイ』の天海あかりや、ついでに言うと『ボーイズオンザラン』のちはるは、軽ーい感じ、いわばビッチ要素だけ描かれてる感じに歪曲されてると思うんですよ。

物語とはいえ、''ただのキャラ''じゃないと思うんやけどなあ

そこに物語があり、それに登場する以上、その人物たちには各々歴史があり思考が見えないとこであるわけです。

そこをもっと誤解がないよう、レッテル貼り、一面しか見せないということがないよう、物語で生かして欲しかった。

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それぞれのキャラクターの出自、どういう人生を歩んできたか、どんな思考回路なのか、全てを説明することが難しくても、もう少しそのキャラの内面を見たかったです。

コーロキも同じく、天海あかりは"こういう人''と思い込むために悩むのです。

理解はせずとも、もっと深くつながるようなことをサボるわけですよ。物語でも語られますが、自分がいないときにあんなことやこんなことしてるんじゃないかと妄想。

そう思う気持ちはわかりますが、だから悩むんじゃないのでしょうか。

能動てきな受け身、受動的な積極性のような二面性まで理解が及ばないために、ずーーっと同じことを繰り返すのです。

 

方や、原作はヒロインの思考や出自も説明してくれていました。

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さらに、映画の方はドロドロ感がダラダラと見えてしまっていますが、原作の方はドロドロ感が次第にホラーチックになるような具合で主人公も狂っていく姿が明白に描かれていて面白いです。

 

だいたいコーロキは勝手にくだらない妄想と自己完結で自分でボロボロになっているだけなんですよ。

そのあたりが違和感でした。

コーロキは彼女に対して「ああして欲しい」「彼女はこうあるべき」という風な束縛男なんです。

自分の恋人を自分の頭の中で誇大化していくタイプなんです。

 

そりゃ狂うでしょうよ!

 

とはいえ、前半で述べたキャラについてはそれだけキャスティング、役者が良いってことですし、あえて劇中で登場人物の出自を述べないのも、スラリスラリと物語を展開させる上では効果的かと思います。

ただ、ドロドロの物語なのでそのへん相性が悪いというか、マッチしてなかったのかな、と思ったり。

 

ただ、見なくて良い作品ではないです。

映画も見て、原作も読んで、自分なりにいろいろ考えれる作品かなと思いますねえ。

 

個人的な感想なのであしからず。。

 

おわり。

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