こんばんは自称バームクーヘンです。
今回は映画『君が君で君だ』について書きたいと思います。
監督は松居大悟。
松居さんは映画『アフロ田中』監督や、数々のミュージシャンのミュージックビデオの監督もしており、撮った作品は一部ですが、以下になります。
大森靖子さん『ミッドナイト清純異性交遊』、銀杏BOYZ『エンジェルベイビー』、クリープハイプ『オレンジ』『社会の窓』『ラブホテル』『二十九、三十』etc..
かなりというか、手掛けた作品の殆どが男女の恋愛を題材にしたものなんですよ。
そして映画『君が君で君だ』も松居さんオリジナル脚本で恋愛というか、もう、度がすぎた、"超恋愛"映画なんですよ。
映画のポスターでは"超純愛"とも謳われてますが、"超"がつくということは単なる純愛ではない、というか違うともいえると思います。
実際、とんでもない恋愛映画なんですよ。
⚠︎ここからネタバレ⚠︎
ざっくりストーリー、男3人はある女性が好きでその女性に告白するのではなく、10年間にわたり、ストーカー行為をし、彼女が好きな人に3人それぞれがなりきる。
彼女はクズ男と同棲しており、そのクズ男の借金を返す目的で風俗店に勤めたりします。
そしてあることがきっかけで男3人の10年間にわたるストーカー行為が彼女にバレてしまう。
取り立て屋は3人の男の家にやってくるし、好きな人にはストーカー行為がバレるし、もう物語はカオスな状態になっていくというような物語です。
ではでは、
〜制度からの解脱〜
前置きでも書きましたが、この映画は超純愛と謳われてますが、「凄く純愛」とは全然違うんですよ。
むしろ純愛ではない。
言うならば男3人の異常な愛情。
男3人は名前も身分も何もかも捨ててストーカー行為を目的に、3人で彼女の家の向かいのアパートに住み、盗聴器も仕掛け、24時間いつでも監視状態の部屋を作ります。
彼らの行為は勿論、犯罪であり、10年間それを続けているんですね。
3人とも、名前も好きな人が好きな人に変わり、社会的活動も全くしてない状態、つまりは社会という制度からの解脱をした人間であり、池松壮亮は好きな女性が好きな、尾崎豊になりきり、満島真之介は『ファイトクラブ』でのブラピになり、大倉孝二は坂本龍馬になりきる。
好きな人が好きな人やものを自分も好きになるというのは一般的な恋愛でもあると思いますが、この映画のそれは常軌を逸しています。
だって、ストーカーしてるからその男たちは他人になりきっても、彼女に見られることはないんだもの!!
なのに、彼女を意識して彼女が好きな人になりきって10年間過ごしている。
これは異常な愛情ですよ。
そこにこの映画の奇妙さはあると感じます。見られないのに社会という制度から抜けてまで他人になりきる。面白いですねえ。
更に、彼女の彼氏が相当なクズ男でも助けようせず、その彼氏を「王子」と呼ぶ。もはやカルト集団です。
彼らにとって社会的に何が善で悪かなんてもはやどうでもよくなってるんですよ。
なにせ、3人は社会という制度から抜けてますから。
そこに常識は通用しないのです。
なので序盤に好きな人の家へ借金取りが来て、男3人が慌てふためいていると、その騒ぎに気付いた借金取りが男3人が住むアパートにやってくるのですが、もちろん、部屋は好きな人の盗撮写真ダラケなわけです。
取り立て屋も社会からは離れた身分ですが、流石にその男たちの異常さに気付き、ストーカー行為に対して、「犯罪だろ?」て言うんですよ。
ですが、3人は犯罪とか以前に社会という制度からは離れてますから、「はい?」と、とぼけるんです。
好きな人をストーカーすること自体が彼らの"社会"になっているわけですね。
それを表すように、男3人は自分たちが住んでいる部屋を「彼女を守る"国"」と呼びます。
ただ、守るとは言えども実際なにもしません。
ただ、ストーカーし、彼女が食べるものを同時間帯に食べたり、彼女と同じ格好をその"国"で行うのみです。
彼女を勝手に教祖にしたカルト集団ですねこりゃ。
3人ともその異常な愛情に気付いてないんです。
目的は彼女と付き合うとか、結婚したいとかではないように感じます。
彼女を守る国、を守ることがストーカーの動機になって本来の目的から逆転してるんですよ。
彼女を守りたいからストーカーをし、国を作っているというよりもとにかく、その自分たちの国をそのままにしときたい。
変化は許されない。
だから、坂本龍馬になりきる大倉孝二は一度、国の掟を破いたために国の中で鎖で繋がれ、外に出れないようにされている。
国は鎖国し外部からの情報を遮断(自分たちの現実を知り変わってしまうから)、知るのは好きなあの娘のことのみで、あの娘に近づくなどの掟を破る者は鎖で繋がれる訳です。
国に住む男たちは変化を拒みます。
では、10年間もストーカーされている彼女はどうか?
〜変化を拒む男たちと変化する彼女〜
10年間、彼女を追っているわけですから男3人は彼女の数々の楽しい出来事や苦い思い出を知っています。
そして、苦い事がある度に彼女は"自分が思い描いていた未来像"から離れていく。
良いか悪いかは置いておいて、変化し続けているわけですよ。
自分たちの変化を拒み、国にすがり続ける男3人と、自分が思ってない方向だけれども、変化する彼女。
これは男3人視点でみると、彼女が変化し続けちゃうから自分たちは、自分たちの国だけはそのままで保ち続けよう、周りとか身分とか関係ない、そのままでいようと思うことに繋がっているかもしれません。
だから信じられないことに10年間も同じようにストーカーし、同じ格好で日常を過ごす。
「王子」が家にやってきたときも「王子」を攻めるシーンがあります、アレは「お前のせいでどんどん彼女が変わるじゃないか」ていう意思表明だと思いました。
お前がクズだから、とかではなく、彼女が変わるから、が攻める理由なんです。
変化を拒む男と変化していく女性という構図がここでわかります。
ただし、時たま、男たちの中で自問自答しているようなシーンもあります。
このままでいいのか?というような。
取り立て屋のYOUに「あんたらが守ってんのはあの部屋(国)でしょ?もう彼女に気持ちとかないじゃん。あんたらがやってること正しいと思ってるの?」と問われた際に、
鎖から外された坂本龍馬になりきる大倉孝二は「俺は今、なにしてるのかわかりません...ぜよ」と言います。
実際にわかってきているし、動機が好きなんじゃなくて国を守るために彼女をストーカーしていることに気付き、変化してないこともわかってるんですよ。男たちは。
でももう止められない、やめられない、変化できなき領域まできちゃってるんです。
自分たちが異常かと思いながらも変化を拒み続ける。
〜異常な愛情からの解脱〜
前述したように、変化を拒み、彼女を守る国を守ることに必死になる男たち。
目的は彼女が好きなんじゃなく、環境の変化を受け入れられない、そのままでいたいという願望から10年間彼らはストーカー行為という名の元でずっと彼女にすがっています。
変化できない、単に変わりたくない男たちだったのですね。
なので変化する彼女を更に更に追いかけてしまう。
しかしながら物語中盤、クズ男から「好きっていえばいいじゃないですか!!!」と池松壮亮が逆に攻められ、彼女からきた着信の電話を「出ろよ」とクズ男から池松にケータイを渡そうとしますが、池松は好きなあの娘からの電話に出ません。
結果、電話を出ずに、そのシーンは終わります。
結局、池松はあの娘と話さなかった。
それは何故か?
好きということ、喋ること、それは現状から関係性が変わってしまうからです。
好きな彼女が人生に絶望し、自宅で首を吊ろうとしても男3人は何もしない。尾崎豊の歌を歌うのみです。
彼女はなんとか死ぬ前に取り立て屋に助けられて命は無事でした。
そしてそれは彼女を守る国は崩壊していたことが明らかにわかる出来事でした。
彼女が命を断つことを止めなかった、男3人。
所詮、変化を受け入れれない男達は何もできない。
死=最後の変化
に対して止める勇気もなく、国が終わることに怯えているようにも思えました。
彼女がこちらを向いてくれないことを受け入れず、彼女と出会った日のことを忘れられず、好きな人の好きな人になりきる、そういった変化を拒むための国であることがわかった瞬間です。
そしてそのシーンのあと、ビデオ風な映像で池松壮亮の高校時代の映像が急に流れます。
そのシーンは池松自身もこれまで、人間として変化してきたことを視覚的に表す役目を果たしていると思いました。
頭の中で、池松も、自分も変化してきたんだとわかった。
ただ、池松は自分が10年間守ってきた城は崩せない。
それでも尚、国は滅んでいないと、変化を拒みます。
彼女は首吊り事件後、病院に入院するのですが、入院中、ベッドで泣き、そこから回想シーンに入ります。
10年間自分が望まない方向に変わってきたこと、変わってしまったこと、そしてその10年間、ストーカーされてることに気付いていたこと、ストーカーしてきた男たちは変化してなかったこと、何もしてくれなかったこと、
それが回想するシーンでわかります。
変化した側の変化してない者たちへの悔しさと何とも言えない感情。
社会という制度の中で生きている以上は、勝手に変わってしまうのですから。
彼らが異常ではあるが、若干の憧れ(に、近い感情)を持つこともおかしなことではないかもしれません。
その後、
ストーカー行為が彼女にバレ、崩壊したその国に彼女がやってきます。
「私の何を見てきたの」
と、彼女は言い、過去の自分の写真を壁から剥がします。
が、池松壮亮は冷静に「変わらないロングヘア、素敵ですね」と言うんですよ。
すぐに彼女はハサミを取り、自分の髪をばっさり切るのですが、髪をばっさり切る。
男3人の目の前で変化、変体することを見せるんですよ、彼女は。
だけれども男は彼女の変化を受け入れられない。
なので、その国の主人、池松壮亮は無我夢中でその、切った彼女の髪の毛を食べようとする。
変化を拒むのですよ。
そんなはずはない、と。
彼女はクズ男を刺し、男3人も自分たちの現状に「もう終わりだ」と言います。
彼女に国の存在がわかってしまった以上、彼らも変化することになりますから。
次第に満島真之介は洗脳から解けたように
泣きながら「全部どうでもいい、おれ、やめるわ」と、国を出ます。
大倉孝二は強制的に池松によって国から追い出されたので、異常な愛情なのはもう池松壮亮のみ。
池松も、自分1人になって彼女が遠くへ行く際にその国から飛び出して彼女を追いかけ、
「僕は僕です」と、満島真之介と同じく自分たちが作りあげた国の洗脳から解けたように彼女に告白するんですよ。
当たり前ですが、彼女にとっては意味不明なので断られ、何もできない、何もしてくれなかったことを伝えられるのですが、これまた池松。
持ってた花を食べ、海に走っていきます。
自分も彼女の変化も受け入れるしかないと理解できたのでしょう。
〜裏テーマはメタモルフォーゼ(変身)〜
10年間保ち続けた国を去り、旅立つ男。
韓国に帰る女性を最後に追いかけるのですが、空港で会えたかはわからない。
法外に生きた男の物語。
最後まで男は彼女にほとんど何もできなかった。
とても興味深かったです。
男たちが、ある目的のために10年間変化を拒んだことも含め。
変化を拒む男と変化する女性。
そういう視点で見てもいいのかもしれません。
君が君であること、僕が僕であることはなんでしょうか?
変化しないのが、僕であることなのか。
映画『君が君で君だ』は、僕は僕で、"君"には変化して欲しくないという男たちの感情を映像化した作品だと思いました。
人間、勿論男女問わず、勝手に変化してしまう。
それが悪い方向かもしれないが、変化はしないといけない。サナギの状態じゃそこから何もできない。
最後に男たちも脱皮し、変わった。
変化してきた彼女も飛行機に乗り、旅立つ。
いわば羽を広げてサナギから蝶になるよう、空に飛び立った。新たな変身です。
ほんとは、変化し続けるのが僕が僕である理由で、君が君である理由なのでしょう。
人間のメタモルフォーゼ(変身)が裏テーマの映画かな。
以上
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。