ぼんくら解体新書

俺は絶対サブカル男子ではないっ!

銀杏BOYZ『恋は永遠』のMVを見て

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 どうもこんにちは自称バームクーヘンです。

「エンジェルベイビー」「二回戦」「骨」 に続きまして「恋は永遠」のMVも公開されましてね、これまで思ったことを書いてきたので今回も書きたいと思います。

恋は永遠のMVの監督は三浦大輔さんです。

これまで深く峯田に関わってきた人物で、僕は今の峯田は三浦大輔さんの影響が良くも悪くも無ければまた違った姿だったと思います。

映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』以降、舞台『母に欲す』で峯田を起用し、『裏切りの街』で銀杏BOYZの曲を使うなど、自身が監督・脚本を務める作品に度々銀杏BOYZ 峯田和伸を使ってきました。

肩書きは劇作家だと思いますが、映画監督もしており、僕は三浦大輔さんが監督された作品は好きです。

ボーイズ・オン・ザ・ラン』『愛の渦』『何者』など。

モテキ』の大根監督が撮った映画『恋の渦』も原作三浦大輔さんですし映画の脚本も担当してて、好きです。

 

で、今回の銀杏BOYZのシングル第三弾、まあ三部作だとすれば最後の作品のMVの監督をされたわけですが、ツイッターYouTubeのコメント欄を見ているとそれまでのMVの中でも批判が多めかなと、もしくは好き嫌いはっきり分かれてる感じなんですよね。

それか好き嫌いどうこうより、何が?って思ってるひとも多くいましてね。

たしかに僕も見て、なんでこうなった?てなりました。

 

まず、銀杏BOYZのシールを貼ったヘッドフォンをして、銀杏のバッチをリュックに付け、銀杏のTシャツを着て、銀杏の曲を聴いた女性が夜の街を歩きます。

いや、銀杏のグッズ見せすぎ!!嘘みたいでしょあれ。

プロモーションするのはそらそうですけど、ただ着る、貼る、んでそれをカメラで舐めるだけって!

グッズ関連でいえばね、ストリップ劇場の楽屋でも銀杏のCDや関連本が積まれたりしててね、その見せ方が言葉が悪いですけど、しつこすぎて映像がやたら間延びしてる感じになるんですよ。

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演出的に粋に見えないというかね、銀杏関連の商品が洒落た使い方されてる!とはならないんです。

違和感がすごい、リアルじゃない

そこがとても残念でした。

 

恋は永遠がかかるまで何曲か銀杏の曲がMV内で流れます。

BABYBABY→夢で逢えたら→ぽあだむ→銀河鉄道の夜→恋は永遠

の順番で流れるんですけど、それもね、銀杏の中でもキレイ系の曲ばかりで、シングル三連続、三部作の集大成という意味で過去の銀杏をも、MV内でなぞっていくにしては泥だらけの記憶みたいなのが排除されて過去の銀杏の、はらわたまで見せるような美というより、綺麗な部分だけ抽出されたように見えるんですよ。

汚さまで見せる美しさというより、取り繕った綺麗さてのはストリップ劇場の楽屋での口紅を塗る、タバコを消すこの動作に現れてると思いますね。 

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まず、MVでは冒頭女性が銀杏のシール貼ったヘッドフォンしてるんですけど、ヘッドフォンといえばエンジェルベイビーのMVでも出てきて、そんときは「犬人間」を少年が聞いてて親父にぶっ壊されるんですよ。

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物理的に過去の''それ系''の曲は破壊されるんです。まあそれは過去を壊すって意味ですけどそれは全然良いんですよ。

過去を破壊して過去の軌跡から集めたもので新たなものを作る、エンジェルベイビーができる、それは良いんですよ

エンジェルベイビーそのものが良いか悪いかは置いといてもその姿勢は良いと思います。

そういう抽象的な見せ方なら良いんですけど、恋は永遠のMVはそれを具体的に見せちゃうっていうね。

キレイ系ばかりをマジで集めて曲を流してグッズは並べといて関連本積んどいてってしちゃうっていう。

 

ストリップ劇場の楽屋で恋は永遠のCDを入れて、曲が流れ出すと女性はステージに行き、舞台に立つ。

客の男たちは彼女を、光のなかに立つ彼女を見る。

僕は思うんですけど峯田は曲のスタイルは変わってても、一貫して昔から日常や非日常で起こる全ての事象を歌にしてると思っていて、人生とかそういうのより、もっと身近な生活を歌ってると思うんですよ。言葉で表すと、愛と平和というより恋と退屈のように。

そのリアルな生活や終わりなき日常での鬱憤や出来事を全て歌に昇華してる、ぽあだむ以後はそれをポップにする。

光の中にたつってのもお花畑で女性がいる、それもありますがもっとリアルにいうと、ストリップ劇場もそうなんですよね

ステージで女性がいて、男たちが夢を見る。

これは「廃れゆくストリップ劇場」についてある記事内の抜粋です。

 

 

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 精神的恋愛に近い、なので恋といえども、いっちゃえばかなり敷居の低い、そんな恋もあるとわかります。

違う記事

 

 

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やからおそらくね、僕が思うに「恋は永遠」といえども普通の恋愛だけの話ではないんですよ。

もっさい男どもがステージ上に立つ女性に対して恋することもありますし、過去の女性を投影してステージを見る。それも現実にあるでしょう。でも、そんなかつてロマンに溢れていたストリップ劇場は廃れていってしまう。

全ての場所、場面を峯田はポップにしたいんやと思うんですよ

そういう廃れた場所にも、光を見出したい。

 

恋は永遠の歌詞でロックのレコード聴かなくなってもロックがあり続ける限り、ロックは2人を忘れないと歌い、

古びれたストリップ劇場、かつてロマンに溢れ男どもが恋した場所も、廃れていくけどもステージに立つ女性は今もいて、劇場もまだ存在する。

日常の中でのストリップ劇場なんか非日常ですよ。

でも非日常でしか恋できない男も現実にはいましてね、そんな恋もポップにしたいんやと思います。

そういう意図はわかるんです、意図はわかるんですけどね、ストリップ劇場ていわば箱の中の話で、密かにある感じなんですよ。

やからそれを外に出す、映像で再現でも見せちゃうとそんな密かに箱の中で行われるからこそ引き出されるストリップの良さみたいなのが無くなっちゃうんです。

見ててどうも居心地が悪く、嫌な感じに見えてしまうのはそういうことやと思います。

箱の中で、自分もその中、非日常のカルトな空間にいるからこそ良いのに、動画で外に出されると印象的にあまり良くはならないと思うんです。

やから恋は永遠を、ストリップ劇場で行われる一方通行の恋愛にまで落とし込む、その意図はわかるし僕は良いと思うんですけど、映像で具体的に見るとなんか違うとなる。

 

そもそもそういう現実に存在する箱の中でしか成り立たない恋愛をも映し出すにしては、前半の銀杏グッズオンパレードのせいでリアルには見えてこないし、曲の「恋は永遠」の大衆メロディの雰囲気にしてはMVがアングラっぽ過ぎて、結局、何処を狙ってる、誰がターゲットなのか迷走してる感じに見えてしまうんですよね。

 ストリップ劇場をMVの舞台にした意図はわかりますが、ストリップですから女性は一枚一枚脱いでいきます、その行程を写してしまうとどうしてもエロ要素も後半になるにつれて出てきて、今、エロを求めてないときにエロが出てくるんですよ。

やからどうも居心地が悪い。

かつて輝いていた昭和の館、ストリップ劇場を恋は永遠という大衆メロディにのせて見せる、それは発想的に面白いと思いますが、完成したMVはあまり良く見えない。

 

バランスがね、リアルを見せたいのに嘘みたいな演出やったり、密かに行われるストリップを外に出したり、メロディは大衆やのにMVは凄く意見が分かれるような物やったりそういうどっちつかずみたいなのが見てて、違和感があると思うんですよね。

 

曲の話をすると「恋は永遠」の恋は 普通の恋愛以外にもストリップ小屋で行われる一方通行恋愛も含むというのを見て感じましたが、永遠とはなんなのでしょうか。

永遠とは嘘っぽいです。しかし、ここでの永遠とは2人の関係性の継続という意味での永遠というよりも、2人の記憶の中で成り立つ関係性の断続といいますか。過去に存在した2人の関係、記憶の中でたしかにそれは残り、思い出せばあの人、あの娘を想う。そういう意味での永遠だと思います。

2人は過去に存在し、そのとき聞いた曲があり、2人の関係は終わってもその曲さえあれば思いだすし、その曲はその2人を覚えている。

恋は永遠の歌詞でも「ロックのレコード聴かなくなってもロックは2人を忘れない」と歌いますし、必ずしも「恋は永遠」とは2人の関係性の継続だけを歌っているわけではなく、過去に存在した2人の関係、記憶の中で立つあの人、あの娘と自分の関係も歌っていると考えます。

他にも歌詞で「月面のブランコ」と、BABYBABYの歌詞の引用がされています。

MV内でも流れましたが、BABYBABYは歌詞で「永遠に生きられるだろうか」とあります。

あの人をあの娘を心の中に秘め、願う。

BABYBABYでのその想いを永遠に持ち続けられるのか、恋は永遠では「今も月面のブランコは揺れてる」と歌い、つまりはまだBABYBABYで歌われたその願いは存在する。

もしくは本当に自分の心の中で願うのをやめていたとしても、当時願ったものは歌として残され、その歌はその願いを覚えている。

それを歌にすることでその願いこそが、永遠となる。「恋は永遠」の永遠とはそういう意味だと感じます。

ただ、曲の意味はそうだとしても個人の曲への考え方はそれぞれですし、エンジェルベイビーの世界は変えれないんか変えれるんか問題みたく、ほんまか?みたいな、永遠と簡単に言っちゃうがゆえに引っかかってしまう。そういうのはあると思います。

峯田はエンジェルベイビーで自分は世界を変えれないけれどロックンロールで世界は変えれると願い、歌いました。

そして恋は永遠では、2人の関係が終わってもロックがある限りは2人のことをロックは覚えているとし、明らかに今回のシングルでロックンロールに対しての想いを表明したと考えます。

真剣に考えて打ち出したというか。

そういうのは1人のミュージシャンとして、どう考えるのか知れて良いと思います。

 

 さて

シングル三連続で、MVは4本出ました。

10月13日には武道館がありましてちょっと前の銀杏から考えれば活動しすぎやろ!!て感じですけど、シングル発表されてMVも見た今の状況、半年くらい前には考えられなかったですよ。

銀杏BOYZに対する考え方みたいなんも変わりましたしね。

しかし、MVの監督、出演者がこれまでも銀杏に関連してきた人たちもわりと含めて構成されたのがね、部屋から出たのに自分の昔からいた身内からは出れてない気がしてね

そこをも、超えて銀杏には飛び立って欲しいんですけど、余計なお世話過ぎますよね、はい..

 

まあ来月には武道館もありまして、銀杏にしがみついて聞きに行きます

恋は永遠のMVを見て思ったこと、どうも最後までありがとうございました。

 

 

 おわり

 

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