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銀杏BOYZアルバム『光のなかに立っていてね』レビュー

こんばんは自称バームクーヘンです。

今回は銀杏BOYZのアルバム、『光のなかに立っていてね』のレビューをしたいと思います。

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ー概要ー

まずはこのアルバム、2014年にリリースされまして製作期間は7年間、銀杏BOYZとしては約9年ぶりのアルバムでした。

ライブ音源を改良したアルバム『BEACH』と同時リリースされました。

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そして、この2枚のアルバムを機に他のメンバーは脱退と、とにかくまあ物凄いエネルギーを注ぎ込んだアルバムなんですね。

銀杏BOYZにとって一番のターニングポイントですね。

 

ー収録曲ー

 

1.17歳

2.金輪際

3.愛してるってゆってよね

4.I DON'T WANNA DIE FOREVER 

5.愛の裂けめ

6.新訳 銀河鉄道の夜

7.光

8.ボーイズ・オン・ザ・ラン

9.ぽあだむ

10.僕たちは世界を変えることができない

 

です。

次のアルバムはいつになるのでしょう、ということでとりあえず『光のなかに立っていてね』について思うことを書いていきたいと思います。

 

ー世界から社会へ、非現実から現実へー

 

まず、銀杏BOYZのアルバム2枚

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この2枚を銀杏初期としましょう。

 

銀杏初期では''君と僕だけの世界''という考え方が基盤となっていました。その世界を夢見て曲が生まれてる感じですかね。

その頃は君と僕の世界、2人だけの世界を夢見てた訳です。

それと比べ『光のなかに立っていてね』では''世界''よりも、''社会''に重きが置かれました。

 

世界=夢(非現実)

社会=現実

 

そして【世界=夢(非現実)】の構図の曲は銀杏初期で歌われ『光のなかに〜』以降の銀杏の曲は【社会=現実】で展開されていくわけです。

ぽあだむの歌詞、「夢見る頃を過ぎて英雄なんかいないって重々承知してんだ」に顕著にそれは表れていますね。

または「僕たちは世界を変えることができない」の歌詞にもそれは表れています。

一応触れとくとエンジェルベイビーの「ロックンロールは世界を変えて」という歌詞はロックンロールそのものが【世界】の中で存在しているためにそうなるわけです。

ここに矛盾はないです。ただし、銀杏BOYZは【社会】の中で留まることになった。

 

さっきから言うてる【社会】というのはいわゆる現実的な日常の話ですね。学校での社会、仕事場での社会、つまりは終わることのない日常の話です。

そして初期銀杏では日常の【社会】はクソだと、【社会】はクソなんだから見限ってそれよりも夢見て2人の【世界】に、生きている実感を見出そうとしたわけです。

でも、その夢見た【世界】てのは手に入れてしまうと自分自身は社会の中に存在するために、夢見た【世界】がクソ【社会】、日常になってしまうわけでそこでパラドックスに陥るわけですよ。つまりは手に入れた瞬間に夢見た【世界】は消えてしまい、結局のところ幸せと呼べるものを実感できなくなるわけです。

初期銀杏はあえてそういった一瞬で消えてしまうという部分に作品性を見出したわけです。

そのへんは駆け抜けて性春の歌詞なんかはわかりやすいと思います。

(わたしは幻なのあなたの夢の中にいるの...とか)

 

ただ、【手に入れた結果、いくらクソ社会を見限っても自身は社会に存在するため夢見た世界はクソ社会の仲間入りに変わってしまう構図】のなかに自分を置いてしまうとします。

すると、その構図の中で追いかけてきたものが一瞬で消えてしまうということを不幸せと感じた場合、不幸せのために生きてるみたいなトンチンカンなことになるわけですよ。

またここでも永遠に繰り返される連鎖、パラドックスが出てくるわけです。

「それでもいいや」って思えれるくらい凄いのが銀杏初期の異様さなのですが、峯田はおそらくそのへんのパラドックスを断ちたいと考えたのではないでしょうか?

メンヘラ製造機、不幸せの生産者とか思われても嫌でしょうしね。

 

そこで、僕たちには【世界】よりも前の段階に【社会】があるじゃないか、となったんでしょう。

終わることのない社会をクソだとしてたけど、どうせ社会の中で生きるしかないんだから終わりなき日常に光を見出そうとした。

『光のなかに立っていてね』は基本として非現実から現実へ、というメッセージがあると思いました。

そのため、ぽあだむの歌詞ではPOP過ぎる歌詞にマックのコーヒーなど過剰なほど日常のワードを入れたわけです。

音の話をすると、峯田はインタビューで「I DON'T WANNA DIE FOREVERはゲーセンみたいな音にしたかった」と述べています。

ありふれた日常の要素、現実に存在する空間の要素をそうやって存分に作品に散りばめたわけですね。

 

そしてこれまで【世界】ばかりに囚われていたけど、よく考えればクソ【社会】も混沌や混乱の中で光るものはあるわけでそこに作品性を見出します。

そして終わりなき日常に佇むあの娘の姿や、記憶の中にある、かつての日常にいたあの娘の姿にスポットライトを当てます。

日常の混沌や混乱はアルバム全体を通して纏うノイズが大きく効果を表していると思います。

 

ここから曲の話で。

ーぽあだむ、ボーイズ・オン・ザ・ラン

 

ぽあだむとボーイズ・オン・ザ・ランについて、書きます。ぽあだむのMVは本当に良くてね女性の日常にある一瞬の笑顔を記録し社会の中で光る彼女たちの素晴らしさを見せてくれました。

その日常の瞬間の連続が良くて、その連続、連続、終わることのない瞬間によって、終わりなき日常を見出しました。ぽあだむMVはそういった瞬間の連続性があるわけです。

 

方や、ボーイズ・オン・ザ・ランのPVは男たちのしょうがない姿をこれでもかと写します。

ボーイズ〜のPVもひとりの人のコマの連続という点ではぽあだむと変わらないのですが、ボーイズ〜に出てくる男たちは何処か「終わりに向けて駆け抜ける感じ」があります。

ぽあだむMVには終わりに向けて駆け抜けるというより、終わることのない日常の中での一瞬の光を見出してると感じました。

終わりに向けて進んでいるか(ボーイズ)、一瞬の繰り返し・連続性(ぽあだむ)か、2つの曲はこの違いがあると思いました。

 

ー金輪際ー

金輪際ってワード自体は堅苦しくて仏教用語っぽいですが思うにそこにそんな深い意味はないと思うんですよね。金輪際って意味は永遠とかですよね、永遠を言い換えただけやと思います。曲調も歌詞も好きです。歌詞を読むとなんかすっごい単純なんですがでも惹かれちゃう。そこがいいです。

ー愛してるってゆってよねー

『光のなかに立っていてね』の中でいえばライブで歌われることの多いこの曲。

凄く曲調がPOPでラップもするわけです。が、この曲は僕が思うに「銀杏BOYZはこれから変わりまっせ」てきなメッセージを過剰に表明しただけで、この曲はそれ以上もそれ以下もないと思うんですよ。「変わりまっせ」ていう単なるパフォーマンスなだけに聞こえるので、正直ライブで聴くともうそれはわかってる!てなっちゃいます。

 

 

最後に峯田は

世界に絶望したわけではなく、

アルバム全体の話では散々『光のなかに立っていてね』は【世界】から【社会】へ移行したということを書いてきたわけですが、決して峯田がかつて夢見た【世界】を見捨てたというわけじゃないと思います。

それよりも、社会の存在を取り戻したという感じじゃないでしょうか。そして銀杏BOYZは【社会】に留まることになりましたけど、それでも【社会】の上に【世界】はあるわけです。

ただ、それは銀杏初期で表現されてきた日常、つまりはクソ【社会】そのものを見限って【世界】を歌う。というよりもある種、新たな銀杏では悟りを開いた状態ではないでしょうか。

 

僕たちはやっと日常を取り戻したと、【世界】より前に【社会】があって、そんなクソみたいな【社会】や現実にも光はあって、まずそこを見ようとしたんじゃないでしょうか。

そうして【社会】の中で生きることを実感すれば、【世界】を夢見たとき以前より強固なもの、考えになっているわけです。

クソだと見限って見て見ぬ振りをしていた【社会】を新たな銀杏の姿で取り戻したわけです。

 

『光のなかに立っていてね』は銀杏BOYZの悟り、次なる段階を表したアルバムでした。

その段階への移行によって凄まじいエネルギーを使い、さらには前半で書いた、銀杏初期の、そもそもの【社会】を見限って【世界】に希望を見た結果生まれてしまうパラドックス【手に入れた結果、自分という人間は社会の中で存在するため世界を手に入れた瞬間にクソ社会の仲間入りになる構図】のせいで連載が大きく膨らみ、バンドとして消化できない凄まじいパワーを溜め込んでしまい、銀杏BOYZは崩壊してしまったんじゃないでしょうか。

 

しかしながら現実を知り、終わらない日常に生きる実感をなんとか見出そうとすることでそこから見る【世界】は以前よりも素晴らしく映り、社会に自身の存在があることを自覚し、さらには社会そのもの(クソ社会を認める、悟り)への理解を行なったためにパラドックスも存在しないので【不幸せのために生きてしまう連鎖】ももう生まれてこないわけです。

 

かなりのエネルギーを使い、それでも知り、実感することで以前よりも強固に僕と君の世界について想像できるでしょう。

『光のなかに立っていてね』は、僕たち銀杏BOYZを聴いてきた人々にそのようなことを教えてくれた気がします。

 

 

 

最後に『新訳 銀河鉄道の夜』の歌詞解説を試みたいと思います。

『新訳 銀河鉄道の夜』の歌詞は、以前とは違う【自覚できた社会】と【かつて夢見た世界】そして【これから夢見る世界】の3つが混在してて素晴らしいと思います。

 

 

新訳 銀河鉄道の夜

 

作詞作曲 峯田和伸

 

 

点、夜の口がまた閉じていく、汽笛の湯気に
猫、歌う讃美歌、あわれむな、僕はここ

(「あわれむな 僕はここ」、つまりはもう僕は以前と違う。世界から社会に、非現実から現実に移行)


東南東わずかに東に骸骨島が沈みます
ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか南風は椰子を揺らし、シリウスは瞬いて
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

(「あなた」は夢の中にいる、けど以前とは違うので手に入れても消えない、終わりなき日常に彼女の姿を見出すために「僕の終わり」とする。以前のように触れると消えるわけじゃない、夢は触れても消えない。これからもずっと夢、想いは続くことを示唆) 


街灯はぼんやりと点いたり消えたりした
靴音はこつこつと響いたり止まったりさ
シベリア鉄道乗り換え、中野駅で降ります
ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか


恋人たちは夢のなか、静かに歌うのでした
あなたは僕のはじまりで、あなたは僕の終わり

(「恋人たちは夢の中」は以前夢みてた僕と君、そしてもう一度「あなたは始まりで終わり」現実社会での終わらない恋)


銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら


世界はいつも取りかえしがつかなくて

(「世界」あの頃の【世界】はパラドックスに陥る取り返しがつかないものだった)


僕たちはいつも思いがけない
あたたかいギターは夜を冷やす

曇った君の声は僕を走らせる 走らせる 走らせる

 

信じますか よどみ続ける愛を

(かつては夢見ても一瞬で消えてしまった、しかし今は違う。終わりなき日常で愛は続く「信じますか よどみ続ける愛を」)


ハロー、今、君にすばらしい世界がみえますか


銀河鉄道の夜
僕はもう空の向こうに
飛びたってしまいたい
あなたをおもいながら

 

(この部分はゴイステ、初期銀杏の銀河鉄道〜と変わらないけど、言葉の意味は以前よりも遥かに強く明確な意思に変わる。自覚した社会から見る世界について語る。あのとき夢見た彼女は一瞬で消えてしまった、でも今は違う。また彼女に逢いたいと、「飛び立ってしまいたい あなたをおもいながら」は泣ける)

 

 

 

 

 

いや〜『新訳 銀河鉄道の夜』の歌詞良いですね。。以前との歌詞に出てくる''僕''の意思の変化を考えると泣けます。

めちゃくちゃ書きましたが、質問があればお願いします。

たぶん【社会】とか【世界】とか繰り返しましたしちょいややこいかもなんで。

 

最後までありがとうございました。

次の銀杏BOYZのアルバム楽しみに待ちましょう。

 

おわり

 

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