ぼんくら解体新書

俺は絶対サブカル男子ではないっ!

映画『モテキ』〜物語はちと不安定〜

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こんばんは自称バームクーヘンです。

今回は映画『モテキ』について書きたいと思います。

のっけからネタバレしますので見てない方はご注意を。

 

ドラマでは最後、土居亜紀、小宮山夏樹、中柴いつか、全員と関係が断たれ胸に溜め込んだフラストレーションを爆発させるべく、幸世は自転車で走り、eastern youthの『男子畢生危機一髪』を聴きながら「俺が誰かのモテキになる!」と物語は終わります。

 

ちなみに、小宮山夏樹との別れときに小宮山夏樹が何を言ったのか、藤本幸世は聞き取れなかったのですが、それについてはドラマ『モテキ』と小宮山夏樹の話というタイトルで記事を書いているのでよければ読んでみてください。

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で、で、映画はその後の藤本幸世の物語です。

 

映画ではドラマと同じく、冒頭でコンビニにて自分語りから始まります。

ゲーテがどうだ、三島由紀夫があーだ、ジョンレノンがどうたらと、いつもと同じく勝手に自分の心情の都合の良いように解釈する幸世。

 

成長してねーー!

くだらない妄想と勝手な自己完結癖治ってないやん幸世!

 

ただし、ドラマでは特に働いてる様子のなかった幸世がナタリーの編集社に面接に行き仕事に就きます。

ツイッターをしている幸世。

そこで自分と趣味が合う人と出会い、下北沢のヴィレヴァンで待ち合わせして飲みに行くことに。

音楽を聴きながら待つ幸世。

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そこに現れた''みゆき''

男だと思っていた幸世は驚き、方やみゆきは普通に「なんだ!かっこいいじゃん!」と幸世に言います。

既にこの時点で2人の関係性は表現されてると思います。幸世は終始ドギマギしてても、みゆきは日常通りの感じ。幸世にとっては、それこそが非日常。

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そこから幸世はみゆきに恋します。

 

その後、会社の飲み会でみゆきの友達の、るみ子さんとも出会います。

ミニカーを作る仕事をしている、るみ子さん。

ミニカーに夢中になる幸世。

リリーフランキーこと、すみさんはミニカーを置き、るみ子さんと話し始めます。

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るみ子さんは何となーく恋愛において悩んでいるように感じで、幸世とは違うベクトルだけれどもこじらせてるという点では似ているように感じます。

 

その後、るみ子さんは幸世に恋をしていきます。

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みゆきの幸世に対する「なんだ!かっこいいじゃん!」というよりは、「この人いいかも」と落ち着いた視点で幸世を見る、るみ子さん。

 

・自我から自覚へ

 

さて、みゆきはダイスケという既婚者のオトコと同棲しています。

 

自分で何でもできちゃう感じ、金子ノブアキこのやろー!て感じですがまあしょうがないですよ。現実にもいますもんね。ダイスケタイプの人って。

幸世とは対照的なわけですよ。

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みゆきはダイスケに対して、感情の承認を求めるも、理解されない。が故に承認の代償行為に依存してしまっている。

 

さらに、承認されないけれどダイスケから離れられないということは、要はコントロールされているという意味であり、コントロールされてることで支配欲、つまりは"自分も誰かをコントロールしたい"ということになり、そこに幸世はマッチしてしまうのです。

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おい!藤本!!!(蹴り)

と、ドラマなら林田の蹴りが入っているとこですね。

 

映画ではそういう幸世の精神的母役は真木よう子であったり仲里依紗が担っていると思います。

あと島田もわりと叱る立場にいるんですよね。

モテ男島田だからこそのアドバイス、あってるか間違ってるかしらんけど!

 

んで、んで、幸世は会社員としてもまだまだぺーぺーで、精神的童貞であり、社会的にコントロールされてしまっている男子なんですね。

なので、幸世は幸世で"誰かをコントロールしたいという欲望"が潜在的にある。

これはドラマでもそうでしたが、潜在的に相手をコントロールしたい為に自分の思い通りに行かないと殻に閉じこもったり、相手を罵倒したりするのです。

 

方や、るみ子さんはどうやら幸世と出会った時点ではわかりませんが、過去に恋愛相手にコントロールされたような感じがします。

ですが、るみ子さんはそれを意識して支配欲を抑えます。ただし、その自分の中の感情のズレが相手に上手く想いを伝えれないという状態と繋がっていると感じます。

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3人はその点ではそれぞれ違う面で想いを抱えています。そして3人は潜在的な気持ちの境遇が似ていると思いました。

 

その後、るみ子さんは幸世に振られたあと自暴自棄になり、すみさんと寝てしまいます。

 

ですが朝にハッと気付きます。

まさにそれは潜在的意識だったものが自分の中ではっきり輪郭を表し、"自分の意識自体をコントロールしてやる"と決心したかのようで、すぐにホテルから飛び出して牛丼屋さんで牛丼を食べ、おかわりを頼みます。

食べる表情はすがすがしく、一周して殻が割れて本来の自分を取り戻した、もしくはひと段階上のステージにいったように見えました。

 

こんな日常は自分で食ってやる。

 

 

 

「おかわり!」

その表情はとても良かったです。

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そして幸世はダイスケとみゆきの関係性も次第にわかっていき、どんどんフラストレーションが溜まっていきます。

そしてみゆきの家に突撃。

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速攻で見事に撃沈し、「出会わなければよかった」と告げられます。

どん底の幸世はどうするのか。とにかく走りまくり、自分の会社に行きダイスケが主催のフェスについて猛烈に文章にし、溜まっていたフラストレーションを文章という形で昇華させます。

爆発しそうだったフラストレーションを、文章として爆裂させ、自分が潜在的に想っていたこと、感じていたことを自覚するのです。

 

自覚とは自分に目覚めることであり、さらには他人の心に自分の姿を映すことで客観的に自分を捉えれる段階をいいます。

そういった意味で、自我の塊で潜在的な気持ちにコントロールされていた3人は他者不在でした。自覚よりも自我が勝っているような感じですね。

しかしながら一連の流れで他者を承認し、理解し、自我から自覚へと強弱が変化、逆転したのです。

 

 

・物語のエンドロールに向けて

「るみ子さんじゃ成長できない」と悟った幸世ですが、その後にみゆきから「幸世くんじゃ成長できない」と告げられ、文章で感情を昇華させ、幸世もひと段階上のステージに上がっていきました。

るみ子さんも幸世も変化しました。

 

そしてみゆきはどうか。

 

みゆきは幸世が溜まっていたフラストレーションを、文章に昇華させたことをハッキリと見ます。

感じます。

これまで潜在的にコントロールしていたつもりでしたが、幸世は感情を昇華させ、みゆきに追いついてきました。

コントロールしていたつもりが追いついてきちゃった幸世。

だからみゆきは「出会わなければよかった」と一時的になるのですよ。良いなと思っていてコントロールもできる男が急におんなじ立ち位置にのし上がってくるのですから。

 

この時点でみゆきの感情の中の支配欲と、好きの感情が自分の中でぶつかり合います。

ダイスケにコントロールされている自分、火事場のクソ力的に追いついてきた幸世。

 

どうするどうする、ここで自分じゃコントロールできない感情の吐露、不条理な情熱がみゆきに芽生え始めます。

 

ダイスケに執着する呪縛。

ただ、自分ではコントロールできない大きな感情が動き出し、運命が2人を近づけていきます。

この段階で、みゆきと幸世は相互承認し、互いに他者の中に自分の姿を映し変化するのです。

2人の、相互承認による成長。

 

そしてダイスケのフェスにて、

個々に一周し成長した2人はダイスケ主催のフェスで出会います。

この時点でダイスケにもはやコントロールされないみゆきはダイスケの言葉が耳に入りません。

 

だって、支配がどうたら、コントロールがどうたらは恋愛ではないですから。

 

これにみゆきは気付いたのですよ。

相互承認による変化、自分じゃコントロールできない感情はとても大きい波を生みます。

幸世に出会うみゆき。

いてもたってもいられず、みゆきは走り出します。

会場で流れだす音楽。

走るみゆき、追いかける幸世。

2人。

 

幸世はがむしゃらに走り、それは文章で昇華させたときと同じようで、がむしゃらに追いかけるのです。そしてみゆきに追いつく2人。

みゆきは心の整理がつきませんが、あることに気付きます。

幸世に対してずっと想っていたこと。ずっと潜在的に考えていたことが、はっきりわかります。

 

それは、「私は幸世くんがいい」ということであり、つまりは"ここではない何処かを探していたみゆき、あなたではない誰かを求めていたみゆきは、ここではない何処かはここであり、あなたではない誰かは、あなた(幸世くん)だったんだ"と気付くのです。

 

元恋人やそれに近い存在の人に恨みや何らかの思いが溜まり、さらにその感情を鬱憤できないのであれば、その人達への最高の復讐方法は「自分が幸せになること」が1つの呪縛から解かれる解決法なんですね。

 

映画のラスト、会場にあの音楽が再び鳴り響きます。

 

「物語はちと?不安定」

 

Death!

 

 

ps.

最初からうまくいっているよりも、苦悩を重ね、感情が爆発しそうになったところで"何か"に気付き、一周してここではない何処か、あなたではない誰かを求めていた終わらない日常を、ここではない何処かはここであり、あなたではない誰かはあなただったんだと一周した人間像をみゆきと幸世、るみ子さんは見せてくれました。

エンドロールの着地点は最高だったと思いますね。

何時間も何日も何年もまわるまわるエンドロール。

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おわり。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。