どうもこんにちは自称バームクーヘンです。
3日前くらいですかね、二回戦のMVが公開されまして、ツイッターでは僕の見た感じ、エンジェルベイビーのMVのときより賛否両論て感じがしました。
僕もすぐ見ましてね、エンジェルベイビーのMVは僕はあまり良いとは思えなくて、まあそれもブログに書いたんですけど、今回、この二回戦のMV、映像作品としては良いと思いました。
MVの監督はターボ向後さんで、AVを撮ってる監督さんです。
出演は峯田さんと、湊莉久さん
湊莉久(みなとりく)さんはAV女優でKissの大ファンですね、あと学生時代に銀杏BOYZのコピーバンドをしていました。
MVの最初、現実離れしたような白を基調とした空間に2人はいます。凄く幻想的な空間で想像の世界、夢の世界のように感じさせます。
二回戦のMVは僕は刹那的な、その一瞬の、2人の空間、2人だけの空間の映像化やと思っていて、ある男の夢の中にいるあの娘との話、やと思っています。その娘ってのは妄想というよりは、かつて自分と実際にいた彼女やと思います。
夢で逢えたら、というより夢の中に逢いにいっている話かなと。
二回戦って名前からもわかるようにあの娘がいて、またはかつておって、その空間があったってのがわかりますしね。
ターボ向後監督のブログの二回戦についての記事では、冒頭に駆け抜けて性春の歌詞が書かれています。
たしかに、駆け抜けて性春も「わたしは幻なの あなたの夢の中にいるの」と、頭の中にいる、かつてのあの娘像ってのがあって、それと似てる、二回戦のMVは駆け抜けて性春の世界観と似てると思いました。
二回戦はエンジェルベイビーのMVと比べると異常なカット数なんですよ。
それは何でかっていうたら想像とか、頭の中にあるかつてのあの人といた日々って断片的ですよね。一瞬、一瞬のその幸せな空間が脳裏に焼き付いてる感じ。それを表現していて、MVの中でテレビ画面とか''何かの中のもの''ってのがよく出てくるんですよ。
テレビ画面の中の峯田とか、瓶の中の拳銃とか、浴槽の中にいるあの娘、カーテンの中でいるあの娘、それは想像の中のことってのを表していますよね。
序盤でビデオを入れる描写があります。テレビ画面には峯田がいて、映画『タクシードライバー』の描写のオマージュも出てきます。
このシーンが映画「タクシードライバー」のオマージュやとしたら、銀杏BOYZはタクシードライバーをめちゃめちゃ使ってますね。
峯田、好きなんやろなあ、トラヴィス。
ほんで、外側(テレビ画面の外)には峯田がいるんですよ。つまりは、かつてのあの人といた日々、脳裏に焼き付いてる断片的な記憶は、映画のフィルムのコマのように存在して、それは再生できる、想像すればあのかつての日々に想いを馳せれるってことやと思いますし、そこに意味を見出してるんですよ。
過去は過去でおさらば〜〜というよりは、過去の一瞬の物語にも意味を見出そう、ていうかそこに生きがいを待たせてもいいじゃんってことやと思います。
プールの中で2人はキスします。この描写は何回かに分けてあります。
海辺?河原にも見えるけど、まあ、海の波の描写も後半であるし、海辺ってことで、この海辺で2人は歩きます。この描写も何回かに分けてあります。
プールの中でのキスしたあとに、時計が置かれてるカットが入るんですけど、この時計の描写もまさに、あのかつての時間、刹那的な物語ってのをわかりやすく表していますね。
水の中ってのは水に潜ればもっと2人の世界になります。でもそれは死を意味します。水ってのは生と死が表裏一体ですよね。ちょうど境目なんですよ、水に浸かる2人ってのは。まさにそれは綱渡りのようで、海辺のカットでは綱渡りのように歩く2人がいます。
空っぽの浴槽の中にいた彼女、海辺を2人で歩き、プールの中で2人はキスをする。それも、後に2人はキスしながら潜っていきます。
一瞬の世界を、永遠にするって意味かなと、僕はここで思いました。最初のプールの中でのキスのあとの時計が映るカットでも、時計は動いてなくて時計って継続して動くのが、当然ですよね、でも針が止まって時間が止まる。それは針が進むことよりも''永遠''の意味を持たせると思うんです。二回戦のMVは永遠の意味を時間の継続というより一瞬のそこにあった時間、空間、刹那に永遠性を見出しているんです。
そういった、刹那的やけどそれこそが永遠となる、そんなイメージを持ちました。
永遠ってのは継続する時間軸では嘘に聞こえるけど一瞬に永遠性を持たせれば、それは真理に近くなると思います。
また、映画の中でのあの娘、記憶の中で断片的に存在する2人の空間は、もう今、この世界になくても、映画が残る限りフィルムがあり、記憶があり、それこそが永遠になる。僕はそう思います。
プールでキスしながら水の中に潜った2人は起き上がるんですけど、次のカットでは花火を2人が持っています。
花火は火を付けて一瞬煌びやかに光を放ち、消えますよね、でもその一瞬が幻想的で魅力なわけで、あの人はいなくなっても、2人で過ごしたあの時間、あの空間は僕にとって一瞬やけど永遠で煌びやかなもの、そこに生きる意味を見出すって意味かなと、思いましたね。
途中でね階段を降りる2人っていう描写があるんですけど、彼女は本を読んでいて、峯田の方はろうそくの火が消えないように、消えないように、大事に持ちながら歩いてるんですよ。それも、ろうそくだっていつかは無くなって消えてしまうけど、その火が灯ってる瞬間を大事にする、花火も光ってる瞬間に意味を持たせる、そういう刹那の永遠性が繰り返されてるんですよ、二回戦のMVは。
海辺のシーンでは最初、海辺でおんぶして歩く2人、しばらくして綱渡りのような感じで歩く2人、最後は十字架を持った彼女を背負う峯田のそれぞれがあるんですけど、十字架を持つ彼女、その彼女は僕は、もうこの世にいなくなった彼女やと思っています。その彼女を、十字架を持った彼女を背負い続ける、キリストのように十字架を背負い歩く。彼女に永遠性を託して自分はそれでもこの瞬間を生きる、そんな印象を受けました。
MVの途中で「僕は君を連れていくよ」て文字が出るんですよ。まあこれも君との一瞬の物語の永遠性を背負っていくてことかなと。
花火を持っていた2人は次に風船を持ちます。
(花火が消える描写は無いですが)花火が消えたあと、花火が光っていた一瞬の物語に永遠性を託して生きがいを見つけ、それを背負い続けると決めた彼は頭の中にその、一瞬の物語を映画のフィルムのようにコマとコマ、断片的に焼き付けます。でもそれは綱渡り的で、手を離せば飛んでいってしまう風船のようやけど、そこに自分は生きがいを持たせる。
二回戦のMVはそういうことかなと、僕は感じました。
考察してるとどんどん様々な要素を見つけれて、面白いMVやなと思いました。
映像作品として、僕は好きです。
けど、色んな人が様々なことを思うのもわかるし、自分も思うことがあります。
二回戦のMVは見る側とセックスしようというよりは銀杏BOYZと監督のオナニーの感じがします
監督は元々銀杏好きで、銀杏のMV撮れるとわかってキャスティングして、MVでは看板の峯田を主演に、彼女役には学生時代に銀杏のコピーバンドしてた湊莉久さんを抜擢して、峯田とキス、それも、MVの公開を湊莉久さんの誕生日にしちゃうっていう。
めちゃオナニーになってません?
いや、湊莉久さんの作品ならそれでいいかもしれないけど、銀杏BOYZが主体ですから、峯田もそれを望んだか知らんけど、誕生日に公開、ましてや絡みがある女優さんのって、ん〜〜。
その一連の流れは面白いと思えば面白いですけど、ヤバイと思えばヤバイですよね。
そのね、映像作品として物凄い想いがあって撮られてるのがわかるんですよ。監督の想いが。
でも、自分の映画とか作品でやるならどれだけ作家性が出ても良いでしょうけど、MVは軸にはバンド、その曲があるわけですから、もう、曲の時点で表現なんですよ、その表現を映像という表現で上手く見せるのがMVで、そのMVが、二回戦では作家性が出すぎて、それが逆に銀杏ファンの中でも賛否両論って結果の1つの要因かなとも思います。
ターボ向後さん、AVでも、わりと癖のある作品撮ってて、作家性が強い監督なんですよね。しかも、それに合う人と合わない人が出てくるタイプの監督さんやと思います。
曲の話でいうと、今回、イラマチオから二回戦に曲名が変わりました。
それは僕は二回戦って名前がベストかはわからないですけど、イラマチオは2人の世界というより1人と1人の世界ですから、二回戦のような、2人の世界って名前にしたのは良いと思います。
かつての銀杏の世界観(1人の世界)から今の銀杏ふたりとか複数人のことを歌う銀杏に合ってますしね。
ええ、またそれも良いと思うだけでその世界観ってのは俺の好みなのか?て言われたらまたアレなんですけどね。くそう!単純にはいかねえぜ!
さっきの話でね、湊莉久さんと峯田のキスですが、僕は全然良いと思うんですよ、けどしても良いと思うけど、そらしたら色々思う人もいるやろなあってのも理解できます。
職業差別とかそういう意味でも何でもなく、思うのは、相手の女優さんはAV女優さんっていう、職業柄、普段出演してる映像作品は性行為で、彼女が、銀杏のMVに出演してさらに峯田とキスするわけですから、余計、男女ともに思うことあるやろし。
しかもMV監督はAV監督の方ですし、そら色々思う人もいるやろなあと。やから、単純にMV見て良いか悪いか、以外に思うことが多いと思うんですよ。二回戦のMVは。
映像作品としては良いのに(個人的には良いと思う)、余計なフィルターがみんなにかかっちゃってると思うんですよねえ。
あとMV公開された同じ日かな?に、3枚目のシングルにクリープハイプの「二十九、三十」が収録されるてことがわかって、それも正直、全員が手放しで喜べるサプライズでは、無いじゃないですか、もう、そういう考えることが多いんですよ
エンジェルベイビーの監督は前に大森靖子さんのMVも監督してて、二回戦の監督は元々銀杏好きやし、自分が撮ったAVのテーマソングに駆け抜けて性春も使ってるし、どちらの出演者も一部、元々銀杏BOYZが好きまたは近い存在で、周辺で行われている気がするんですよ。
銀杏BOYZって姿を明確に変えていくなら元々いた周辺の人たちより、全然関係ないとこから持ってきてやっても良いと思うんですね、
部屋から出ても、結局、周辺に囲まれてる気がしてしまいます。
こんなん、どんだけ余計なお世話やねん!?て話なんですけどね、
あ、あ
銀杏BOYZが新しい情報出す度にツイッター、インスタ、2ch、youtubeのコメント欄等々、その他色々な場所で銀杏好きの色んな方が考えを言うたり、議論したりしてて
それも銀杏BOYZ、峯田和伸が面白いからこそやと思うんですよ
みんなやっぱ思うこともあるし
そんなみんなが、武道館に集まったらどうなるんですかねえ
僕は楽しみです。
何事も無ければ武道館に僕も行きます。
のれるか、のれないかとかじゃなくて、更新されていく今ある銀杏BOYZを目撃したいんでね。
ええ、そろそろ終わりますね
はい、今回は二回戦のMVについて書きました。
長い文章、最後まで本当にありがとうございました。
なんか、書いてたら量多くなってきてね、もし、もし、質問とか何か言いたいことあるなら全然、ここにコメントでもツイッターでリプでもして下さい。よろしくお願い致します。